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何か面白いことないかな

お金関連の話① 160年前の日本の経済オンチっぷり

今年2018年は明治元年から150年です。


それに関連して、日本各地で明治150周年イベントが行われるようです。東京証券取引所までイベントを開催している模様です。

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企画展 証券市場の歴史展 | 日本取引所グループ


年末年始、テレビでも街中でもbitFlyerの広告宣伝を頻繁に見かけました。写真は昨年末、六本木を歩いているときに見かけたトラック広告です。 金融に興味を持つ人が増えているのは嬉しいことです。ミスターワタナベ(日本人投資家たちのこと)は稼げるうちに稼いで、日本経済を潤して欲しいですね。


前置きが長くなりましたが、160年ほど前に起きた経済オンチ政策と、金を取り戻すのに奮闘した森村市左衛門の話を紹介いたします。


目次

おっと、海外に金が流出しちゃったぞ(1857年下田協約)

開国するにあたり、静岡県の下田で為替のレートの話し合いが行われました。そこで日本の経済オンチっぷりを発揮し、国内から金が流出する事態が起きました。

詳細は以下の漫画「風雲児たち幕末編」をご覧ください。






写真:風雲児たち幕末編 12巻

「インフレ」の極端な事例として、ジンバブエドルの画像を貼っておきます。
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20150707/54/5839104/41/214x236x7f40a1a40081599265f38b59.jpg





流出した金を取り戻せ!

1857年の下田条約によって、国内から無尽蔵に金が流出していきましたが、それを憂いた人物がいます。これから紹介する森村市左衛門です。

商売人 森村市左衛門の憂鬱

森村市左衛門は、現ノリタケカンパニーリミテドTOTO日本ガイシ等の設立者です。森村は天保10年(1839年)に江戸・京橋の馬具・袋物商の長男として生まれました。

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熊本県小国町 北里柴三郎記念館パネル 森村市左衛門

安政5年(1858年)の日米修好通商条約締結の開港を受け、翌年から横浜で外国人の洋服・靴・鉄砲・懐中時計などを仕入れ土佐藩・中津藩などに販売を始めました。この頃、中津藩の福澤諭吉と知り合い、仲良くなります*1


万延元年(1860年)幕府は日米修好通商条約に批准する使節団を派遣することになり、米国への贈答品の注文が森村の店に舞い込みました。
使節団が米国で使用する通貨への両替も頼まれたので、市太郎が横浜の両替所で交渉したが、日本の小判(金)とメキシコ銀貨の交換レートは1:2だった。国際レートは1:4だったから外国商人はぼろ儲けです。*2。このことを憂いた森村は、福澤諭吉に相談することにしました。


福澤諭吉に相談だ!

金の流出を憂いた森村は、福澤諭吉に相談したところ「国外に流出した金を取り戻すには輸出貿易で外貨を稼ぐのが一番だ」とのアドバイスを受けました。

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熊本県小国町 北里柴三郎記念館パネル 福澤諭吉

まだ鎖国が解かれたばかりの時代でしたが、森村市左衛門は輸出貿易に乗り出すことにしました。


その後、1878年ニューヨークの六番街238番地に、輸入雑貨店「モリムラ ブラザーズ(Morimura Bros. & Company)」を開業し、陶磁器や漆器、印籠、屏風、掛軸、団扇などの伝統的な日本の雑貨を販売に至ります*3

やがて洋食器ノリタケの販売が始まります。



まとめ

160年ほど前、鎖国を解いたばかりの日本は金が流出していました。それを森村市左衛門が取り戻すために奮闘しました。

〜次回に続く?〜

参考