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何か面白いことないかな

東京の医史跡巡り

たまたま入った蕎麦屋に置いてあった本を開くと「杉田玄白」の文字が目に入りました。
ブログ更新することを思い出しましたので、医学史関連の記事を書くことにしました。

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「江戸の真実」





平成30年度のNHK正月時代劇『風雲児たち蘭学革命編』が放送されるようです。

このごろ蘭学やら医学史について調べていたので、東京の医史跡(幕末〜近代)を巡ってきました。
史跡巡りしやすいように、路線別に紹介していきます。
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目次

紹介する医史跡

今回巡った医史跡ですが、1771年〜近代の、豊前国中津藩(大分県中津市)に関わりのある史跡を中心に紹介します。非常に偏っています。
ざっと歴史の流れを紹介いたします。


明和8年(1771年)3月4日 蘭方医の杉田玄白前野良沢中川淳庵らは、小塚原刑場で罪人の腑分け(解剖)を見する

明和8年(1771年)3月5日 中津藩江戸屋敷前野良沢に集まり、解体新書の翻訳に取り掛かる

安永3年(1774年)、『解体新書』刊行する

安永8年(1779年)杉田玄白の親友の平賀源内、伝馬町牢屋敷で死ぬ。
※平賀源内は『解体新書』の挿絵画家小田野直武に西洋画の技法を教えた。『解体新書』の挿絵画家を探していた杉田玄白に紹介したとも言われる。

文化12年(1815年)杉田玄白『蘭東事始』(らんとうことはじめ)を大槻玄沢に送る。

文化14年(1817年)杉田玄白死ぬ。 墓所栄閑院


安政5年(1858年)お玉ヶ池種痘所できる
江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合って種痘所を作る。
東大医学部の前身、西洋医学所(大阪の蘭方医・緒方洪庵が務めた)の前身

安政5年(1858年)福澤諭吉中津藩江戸屋敷蘭学塾を開く

明治2年(1869年)『蘭東事始』を『蘭学事始』の題名で刊行する。
福沢諭吉蘭学事始見つけて感激する。
緒方洪庵適塾福澤諭吉は勉強していたが血を見るのが苦手だからか、医学は志さなかった。

明治6年1873年)に慶應義塾医学所設立するも、戦争による経営危機で7年で閉まる

明治25年(1892年)伝染病研究所(芝公園設立する
適塾時代の親友から北里柴三郎を紹介され、支援する。

明治27年(1894年)伝染病研究所(芝区愛宕町)引っ越す

明治32年(1899年)内務省管轄の国立伝染病研究所(芝区白金台町)

明治34年(1901年)福澤諭吉死ぬ。墓は麻布善福寺

明治39年(1916年)国立伝染病研究所、白金台に移転

大正3年(1914年)北里研究所(芝区、現港区白金)
国立伝染病研究所の文部省移管決定するにあたり職員総辞職し、北里研究所を作る。

大正6年(1917年) 慶應義塾大学医学部設立 北里柴三郎が初代学部長

平成29年(2017年) 東大医科研125周年 ・ 慶應医学部100周年




東京メトロ 日比谷線沿い

南千住駅の小塚原刑場跡と、築地駅の解体新書翻訳開始地を巡ることができます。
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File:Hibiya line jp.gif - Wikimedia Commons

南千住駅

蕎麦屋「砂場」がある南千住ですが、『解体新書』翻訳をするにあたり、解剖を見学した場所があります。

小塚原刑場跡

1771年(明和8年)3月4日、蘭方医の杉田玄白前野良沢中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学した場所です。

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小塚原刑場跡


南千住回向院には観臓記念碑があります。

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南千住回向院 観臓記念碑
そして史跡も巡ることもできます。
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史跡エリアの看板




『解体新書』の解剖見学から後世でも、医学の発展のために解剖が行われていたようです。
西洋医学所(東大医学部の前身)でも、小塚原刑場で年3回は刑死人の解剖をしていたようです。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)

小塚原刑場跡だけ見に南千住に赴くのもなんなので、南千住砂場(1848年-1854年に創業のそば屋店舗)でランチしてきました。。。親切な店員さんのいる良い老舗でした。

平賀源内墓

平賀源内のお墓があります


小伝馬町駅

伝馬町牢屋敷

杉田玄白の親友の平賀源内、伝馬町牢屋敷で死にます。
平賀源内は『解体新書』の挿絵画家小田野直武に西洋画の技法を教えた。『解体新書』の挿絵画家を探していた杉田玄白に紹介したとも言わていています。

小伝馬町牢屋敷展示館には牢屋敷の模型があります。

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伝馬町牢屋敷 模型

模型可愛いのですが、キャプション内容が強烈です...。

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伝馬町牢屋敷 模型


余談ですが、蘭学者高野長英が捕らえられた際、服役者に医療を施し、牢名主にまでのし上がった場所です。
牢屋の中で出世するのもまた凄いですね....。

お玉ケ池種痘所(東大医学部発祥の地)

天然痘予防の種痘を施す場所です。
手塚治のご先祖様含む、多くの蘭方医たちが奮闘して作りました。今やビルの一角に、その石碑が残っていますす。

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(東大医学部発祥の地)

手塚治虫著『陽だまりの樹』の中に、お玉が池種痘所について紹介されたページがありました。




(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)


ドラマ「JIN」の中では、緒方洪庵が西洋医学所の頭取やっていました。

築地駅

解体新書翻訳地

豊前国中津藩中屋敷が築地鉄砲洲にありました。豊前国中津藩の前野良沢邸で翻訳を始めたようです。

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解体新書翻訳地

慶應義塾大学発祥地

同じく、慶應義塾大学の創設者の福澤諭吉豊前国中津藩出身なので、この地から蘭学塾を開きました。

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慶應義塾発祥の地

石碑も隣同士です。
歩いて15分くらいで月島駅に着くので、寄った帰りにもんじゃ焼き食べれちゃいます。

東京メトロ 三田線

北里柴三郎に関係する場所を多く巡ることができます。
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都営三田線停車駅 | 東京都交通局

御成門駅

出世の階段で有名な愛宕神社がある場所ですが、すぐ近くに杉田玄白のお墓があります。

杉田玄白墓(栄閑院)

栄閑院に杉田玄白のお墓があります。

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杉田玄白の墓
余談ですが、愛宕神社への道に迷い、偶然たどり着きました。。

伝染病研究所発祥の地 碑

東京パナソニックビル1号館に隣接する形で、伝染病研究所発祥の地碑が建てられています。

芝公園駅

伝染病研究所跡 芝公園

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎

白金台駅

東京大学医科学研究所

北里柴三郎が働いていた東京大学医科学研究所です。今年、創立125周年・改組50周年です。

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東京大学医科学研究所

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近代医科学記念館

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模型

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馬へ免疫を施している模型

近代医科学記念館では昔の写真がアルバムになっていて閲覧することができ、東京帝国大学伝染病研究所の写真がありました。コレラ予防注射の文字が書かれているのを見ると、時代を感じますね.....。

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東京帝国大学伝染病研究所の写真

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東京大学医科学研究所




北里大学

もともとは土筆ヶ岡養生園と呼ばれる結核患者の病院跡地に、現在の北里大学、北里研究所ができたようです。

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎
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コッホ・北里神社

北里柴三郎記念館では、北里柴三郎に関連する様々な資料があります。福澤諭吉が激怒した「牛乳瓶事件」の書簡があります。

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北里柴三郎記念館

そのほか、北里研究所本館模型が置いてありました。写真は熊本県北里柴三郎記念館のものです。同じものが東京の北里柴三郎記念館においてあります。

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北里研究所本館模型




※牛乳瓶事件...福澤諭吉は養生園から牛乳をとっていたが、明治29年10月にその牛乳瓶に毛が付着していたのを叱責する長文の書簡を書いた。
書簡の宛名は養生園の庶務会計を担当していた田端重晟(たばたしげあき)だが、北里柴三郎が書簡を見るや福澤に詫びに出向いた。そのまま北里は3時間説教を食らったらしい

東京メトロ 南北線

日本医師会本部、慶應義塾大学医学部、東京大学医科学研究所、北里大学等へのアクセスが良い線です。
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東京メトロ 南北線 路線図

駒込駅

六義園旧古河庭園、住宅街の大和郷がある場所ですが、その中に解体新書が展示してあるミュージアムがあります。

東洋文庫ミュージアム(解体新書の展示)

『解体新書』が翻訳されるまでの経緯が、数分程度の映像でまとめられています。


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東洋文庫ミュージアム

日本医師会 本部

現在の日本医師会本部があります。

四ツ谷駅

慶應義塾大学信濃町キャンパスがあります。主に医療関連のキャンパスです。慶應義塾大学医学部は今年100周年のようです。

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎

慶應義塾大学医学部図書館

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北里記念医学図書館

麻布十番

1975年の動揺「およげ!たいやきくん」のモデルになったたい焼き屋「難波総本家」があったり、創業210余年の蕎麦屋「総本家永坂更科布屋太兵衛」があったり、どこか下町風な雰囲気のする麻布十番です。

福澤諭吉墓(最初のアメリカ公使宿館跡)

福澤諭吉の墓を医史跡として加えて良いものか悩んだのですが、大阪の蘭学者(医師)の緒方洪庵の元で勉強していたことと、北里柴三郎関連施設に大体関わっているのでオマケに入れておきました。

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福澤諭吉


ハリスが滞在していた最初のアメリカ公使宿館跡です。

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最初のアメリカ公使宿館跡

手塚治虫の漫画「陽だまりに樹」に出てきた、元麻布善福寺住職の娘おせきさんが住んでいた寺です。

まとめ

今回、蘭学者たちが人間の内臓がどのようなものか知らせて広めようとする時代から、世界トップレベルの研究者の北里柴三郎が出てくるまでの史跡を紹介しました。

東京は医史跡のドンキホーテなので1日で回れず、数日かけてゆっくり周りました。
後ほど少しだけ修正する予定です。