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何か面白いことないかな

大分県中津市 中津医学史

先日、ふと中津市のホームページを見ていところ、来年の正月に放送される時代劇のプレミアムトークの宣伝がされていました。
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(画像引用元:http://www.city-nakatsu.jp/

一体、どのような内容なのでしょうか?
NHKのドラマトピックスに以下の通り書かれていました

正月時代劇
風雲児たち蘭学革命(れぼりゅうし)篇~

大河ドラマ真田丸」より1年――。
三谷幸喜が満を持して送る究極のエンターテインメント時代劇!
あの三谷幸喜さんが「真田丸」以来、1年ぶりにNHK時代劇に帰ってきます。
今度のお題は前野良沢杉田玄白による〝蘭学事始〟。史上初の西洋医学書の和訳に一心同体で取り組んだ二人は、鎖国ど真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げます。しかし、刊行された「解体新書」になぜか良沢の名は載らず、名声は玄白だけのものとなりました。二人の間にいったい何が起きたのか…。
みなもと太郎さんの大河歴史ギャグ漫画を原作に、笑いとサスペンスに満ちた新しい三谷流歴史ドラマが誕生します。

(引用元:脚本・三谷幸喜 正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命篇~』制作開始 | 正月時代劇 | NHKドラマ

今から楽しみです。私事ですが、三谷幸喜さんのファンです。

ドラマの主人公、前野良沢豊前国中津藩(大分県中津市)の藩医ですが、その中津は蘭学の里と言われています。街の資料館には、東洋医学から西洋医学への移り変わりを感じる、古書等の資料が展示されています。


今回は大分県中津市の「中津医学史年表」を載せておきます。

目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
今は「中津からあげ」が有名です。
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中津医学史年表

中津の医学史年表です。1640年から始まるようです。

1639年から鎖国開始していますので、鎖国してから1900年初頭までの歴史を見ることができます。

寛永17年 (1640) 村上宗伯、大阪の古林見宜より医師開業の免許皆伝を受け、中津諸町で医院開業。
寛保元年 (1741) 根来東叔、人身連骨真形図。
明和7年 (1770) 前野良沢、長崎留学。
明和8年 (1771) 前野良沢杉田玄白ら、小塚原で解剖を見学。翌日から通称『ターヘル・アナトミア』の翻訳を開始。
安永3年 (1774) 通称『ターヘル・アナトミア』の翻訳書『解体新書』刊行。
文化7年 (1810) 奥平昌高・神谷弘孝(源内)、『蘭語訳撰』を刊行。
文政2年 (1819) 村上玄水、九州最初の人体解剖。
文政5年 (1822) 奥平昌高・大江春塘、『中津バスタード辞書』 を刊行。
嘉永2年 (1849) 辛島正庵ら、中津で種痘を実施。
安政5年 (1858) 福沢諭吉、江戸の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開く。

文久元年 (1861) 上勢溜に医学館開設。
慶応4年 (1868) 福沢諭吉、学塾を慶応義塾と改称。
明治元年 (1868) 田代基徳、『切断要法』出版。
明治4年 (1871) 小倉県は、医学校取立方を大江雲沢など4名に命じる。
明治6年 (1873) 片端町に医学校及び病院開設。教頭大江春水、院長藤野玄洋。
明治8年 (1875) 小幡英之助、日本最初の歯科試験を受験し、歯科医第1号となる。
明治36年 (1903) 田代義徳、東京大学に整形外科を開設して、初代教授となる。
明治39年 (1906) 田原淳、心臓刺激伝導系に属する房室結節を発見。“田原結節”または“アショッフ=田原 結節”と名付けられる。

(引用元:村上医家史料館/中津医学史年表 | 大分県中津市

1600年代 村上家の医院開業

寛永17年 (1640) 村上宗伯、大阪の古林見宜より医師開業の免許皆伝を受け、中津諸町で医院開業。

村上医家は、中津市の古くから存在する医師一家です。初代が1640年に諸町に医院を開業以来、現在に至るまで医家として継続(現在は村上記念病院を経営)しています。
当初解説された中津諸町の医院は、今は村上医家資料館として開かれています。
村上医家資料館の蔵は今は数多くの古書が展示されていますが、かつてはシーボルト事件で逃走中の高野長英を匿った場所でした。


以前書いた記事を貼っておきます。
perie.hatenablog.com



1700年代 様々な解剖図が出始める

寛保元年 (1741) 根来東叔、人身連骨真形図。

日本初の人骨図です。

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村上医家資料館展示品 

perie.hatenablog.com

明和7年 (1770) 前野良沢、長崎留学。

前野良沢は47歳の時にさらにオランダ語を深く学ぶために長崎へ留学しました。
留学期間は僅か100日で、また直接オランダ人から学んだ訳ではなく、オランダ大通詞の吉雄耕牛から学んでいただけだったようです。

前野良沢 肖像
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(図:川島整形外科病院所蔵 前野良沢 肖像)

川嶌整形外科病院内のメモリアルミュージアムにレプリカがあります(本物は川嶌先生所蔵)。幾つかある前野良沢肖像画の中で「最も本人に似ているのでは?」と言われる図だそうです。テレビ局等から「この図を利用しても良いですか?」と、川嶌病院に電話がかかってくるのだとか。

明和8年 (1771) 前野良沢杉田玄白ら、小塚原で解剖を見学。翌日から通称『ターヘル・アナトミア』の翻訳を開始。

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川島整形外科病院展示品 ターヘルアナトミア(ドイツ語版)


安永3年 (1774) 通称『ターヘル・アナトミア』の翻訳書『解体新書』刊行。

1774年に発刊され、日本全国に衝撃を与えた『解体新書』です。大江医科資料館に、『解体新書(初版本』と『重訂解体新書』とともに展示されています。
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『解体新書』の主翻訳者ということで、中津の人はよく「前野良沢」の名前が出してきます。
私事ですが『解体新書』について、杉田玄白しか知らなかったので、中津に暮らし始めた初期は「前野良沢....誰....?」と毎度思っていました。


1800年代前半 辞書が作られる

文化7年 (1810) 奥平昌高・神谷弘孝(源内)、『蘭語訳撰』を刊行。
奥平昌高は蘭学大好きでシーボルトオランダ語でお話した殿様です。
前野良沢が翻訳に苦労したという話を聞いていたこともあり、日本で初めての和蘭辞典をを発行しました。


以前書いた記事を貼っておきます。
perie.hatenablog.com



文政2年 (1819) 村上玄水、九州最初の人体解剖。

1819年、村上玄水が、中津で九州最初の人体解剖を行っています。
村上医家資料館に解剖図があります。


文政5年 (1822) 奥平昌高・大江春塘、『中津バスタード辞書』 を刊行。

中津のお殿様、奥平昌高が大江春塘に命じて『中津バスタード辞書』(1822年刊行・オランダ語→日本語辞書・7249語収録)を刊行しました。

嘉永2年 (1849) 辛島正庵ら、中津で種痘を実施。

辛島正庵は中津のお医者さんです。息子を天然痘で亡くしたのもあり、種痘(天然痘の予防法)に対して尽力しました。

以前書いた記事を貼っておきます。
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1800年代後半 様々な西洋文化流入する

安政5年 (1858) 福沢諭吉、江戸の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開く。

中津市福沢諭吉の故郷です。
「中津医学史」に含めてもいいのか疑問に思いましたが.....、福沢諭吉は大阪の医師緒方洪庵の元で学んでいたので、とりあえずOKだと思っておきます。


福沢諭吉旧居に『学問のすゝめ』が展示しています。
現在では初版本に並び、ミズノプリティングミュージアムが寄贈した『学問のすゝめ』の活版で限定復刻版も展示されています。

『学問のすゝめ』限定復刻版
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(出典:水野写真製版所、『学問のすゝめ』初版本を限定復刻 | 日本印刷新聞社 )


以前書いた記事を貼っておきます。
perie.hatenablog.com
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文久元年 (1861) 上勢溜に医学館開設。
慶応4年 (1868) 福沢諭吉、学塾を慶応義塾と改称。

慶應義塾大学が誇りとする、上野戦争中の出来事に関連する書物の和訳本が展示されています。

以前書いた記事を貼っておきます。
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明治元年 (1868) 田代基徳、『切断要法』出版。

以前書いた記事を貼っておきます。
perie.hatenablog.com



明治4年 (1871) 小倉県は、医学校取立方を大江雲沢など4名に命じる。

大江雲沢は華岡青洲の大阪塾で学んでいました。大江医家資料館の大江家です。
こちらの大江家も代々医師を続けてきましたが、今の代はお医者さんやめてしまったそうです。


以前書いた記事を貼っておきます。
perie.hatenablog.com
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補足説明ですが、小倉県(こくらけん)は1871年豊前国を管轄するために設置された県です。現在の福岡県東部、大分県北部にあたります。

明治6年 (1873) 片端町に医学校及び病院開設。教頭大江春水、院長藤野玄洋。
明治8年 (1875) 小幡英之助、日本最初の歯科試験を受験し、歯科医第1号となる。

小幡英之助は中津出身で、芝新銭座にあった時の慶應義塾で学んでいました。
西洋歯科医術を修め、日本で最初に「歯科」で開業試験に合格、日本最初の歯科医師といわれています。

1900年代 近代医学

明治36年 (1903) 田代義徳、東京大学に整形外科を開設して、初代教授となる。
明治39年 (1906) 田原淳、心臓刺激伝導系に属する房室結節を発見。

“田原結節”または“アショッフ=田原 結節”と名付けられる。

展示場所

大体の医学関係の資料は「大江医家資料館」「村上医家資料館」「川嶌整形外科病院ミュージアム」に展示されています。「福沢諭吉旧居」にも寄ってみてもいいかもしれません。

町歩きの地図

中津駅にパンフレット「まちあるきのすすめ」が置かれていました。川嶌整形外科病院以外の、古文書が置いてありそうな場所が載っています。参考にしていただけたらと思います。


観光される方は「るるぶ」もあります。

2016 るるぶ特別編 中津・耶馬渓
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(出典:2017るるぶ特別編集中津・耶馬渓が完成! | 大分県中津市

まとめ

とても雑な紹介になってしまいましたが、大分県中津市は380年前から続く医学の街です。
興味のある方は、ぜひ大分県中津市に観光にいらしてください。

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