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何か面白いことないかな

大分県中津市で見つけた歴史資料17 種痘(天然痘予防)関連の資料

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。
そういえば、近年開発された中津の牡蠣「ひがた美人」食べずに去ってしまったなぁ...と思い出しました。少しばかり心残りです。

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ひがた美人 | 大分県漁業協同組合 中津支店

前回に引き続き、今回も天然痘に関わる様々な資料を紹介いたします。
種痘(天然痘予防)を広めるのに医師がどれほど苦労したか、また当時の日本人の迷信深さを感じていただけたらと思います。


目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
今は「中津からあげ」が有名です。
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国内の天然痘

天然痘の歴史

日本書紀』によると国内では552年には天然痘が伝来し、聖武天皇奈良の大仏や日本各地に国分寺を建てたのも天然痘を怨霊の仕業として封じ込めようとしたようです。そこから度々流行していたようです。
種痘が行われるようになった1876〜1979年の140年間でも、天然痘患者は33万7776人、死者9万2018人、致死率27.24%だったようです。*1今は根絶されましたが、長い間、国内は天然痘に悩まさせ続けられたようです。

余談ですが『旧大村藩種痘之話』(1902)の中では、天然痘患者は山中に隔離され、10人中7〜8人は野垂れ死させていたと記録されているようです。
ひどい扱いですね....


種痘(天然痘予防法)の歴史

1849年に国内で佐賀藩が種痘を始め、これをは種痘元年と呼ぶようです。
シーボルトの弟子の伊東玄朴が佐賀藩で種痘を広めるのに貢献したようです。オランダ人医師のオットー・モーニッケが種痘を長崎に持ち込み、佐賀藩はそれを取寄せました。その種痘を藩主が率先して自分の息子に受けさせ、皆がするようにと布告を出したので佐賀藩に種痘が広まったようです。これによって、佐賀藩の種痘の成功を受けて各地に種痘が広まりました。

当時は種痘(牛痘を植える)をすると、牛になると考えられていた時代なので、種痘を始めたことは先進的な考えをしていたと思われます。


種痘の運び方

種痘の運び方ですが、人間の体内で増殖保存し、かさぶた等で移送しました。
当時、冷蔵庫・冷凍庫がないので、種痘によってできた痘内の液体(痘漿)や、かさぶたを次から次へと人間に植え継いで伝えて保存したそうです。*2
海外から日本に船で運ばれる際も、人から人へ植え継がれながらはるばる日本までたどり着いたようです。
今では考えられないくらい大変ですね....。


中津の種痘の歴史

中津の天然痘治療は、中津藩医の辛島正庵(蕉庵・1779〜1857)が天然痘の研究につとめたといわれているようです。きっかけは辛島の長男が6歳で亡くなったからのようです。

1849年、佐賀藩で種痘が行われた同じ頃、辛島正庵を含む10名の医師と子供を連れていき、長崎にバタビア由来の種痘を行って帰ってきました。最初はこの時同行した医師らが自分の子に種痘を行い、引き続き親しい人々に種痘を行い、そのうち医師たちは藩に請願して、無料で種痘を行うことを願い出て許可をもらったそうです。

そのうち種痘の成功に市民が感激し、ボランティア基金が集まり1861年に中津医学館が建設されて種痘館としても活用されたそうです。
これはその後、1871年12月設立の西洋教育を行う中津医学校へと繋がります。

なんだか東大医学部と言い、中津医学校と言い、種痘のお陰で我が国の医学が発展しているように感じます。



※中津医学館跡地...中津市上勢留、現マルショク駐車場
※中津医学校跡地...中津市片瀬町



中津市所蔵 天然痘に関係する資料

やっと本題の天然痘に関連する資料です。

辛島家資料

1840年に辛島正庵の子、長徳を岩国の中村一安のもとに送り、中国(明)の載曼公が池田家に伝えた天然痘の治療方法を学ばせました。
そのためか、辛島家には載曼公・池田家の流れを汲む「痘瘡唇舌鑑図」の彩色の写しや史料が多く遺されたそうです。

「痘瘡唇舌鑑図」

舌や唇を見て天然痘かどうかを診断するのですが、黒っぽい色になるほど、末期症状のようです。

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「痘瘡唇舌鑑図」他

江戸時代の医療においても唇と舌の状態を見るのは重要とされているようです。

個人的な話ですが、私も行きつけの鍼治療師に施術前に「舌を見せてください」と言われ診断を受けるので、今でも東洋医学では舌の診断は重要なようです。

『池田家秘書痘疹戒草(写本)』(1840)

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『池田家秘書痘疹戒草(写本)』(1840)

屋形氏資料

中津で代々医師をしていた屋形家の種痘関連の資料です。

種痘施術免許証

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種痘施術免許証

種痘人名簿

種痘を受けた人の名簿です。

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種痘人名簿


お札

迷信!疱瘡の神様のお札「赤札」

江戸時代、赤色だけで描いた「赤絵」と呼ばれるお守りがあり、厄除けの効果があったと信じられていたようです。

「鐘馗像」

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鐘馗像

「疱瘡見舞軽焼錦絵袋」/淡島伊賀掾
病気が軽くすむのという縁起をかつぎ、お見舞いに軽焼せんべいを贈る風習があったそうです。菓子袋にも疱瘡絵を描いたものが多いらしい
*3

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疱瘡見舞軽焼錦絵袋


「桃太郎とだるま」
だるまは起き上がりを意味し、病気回復を祈願する意味を持ちます。

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金太郎とダルマ


この時代は、これらの札が信じられていたようです。まだ150年ほど前の話であることに驚きです。
とりあえず、手塚治虫の「陽だまりの樹」のコマを貼っておきます。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)

種痘啓蒙の札「疱瘡の神とは誰か名付けん」

種痘に抵抗感があって応じない人々に、その有力性を説き、又危険性も少ないと勧めるお札「疱瘡の神とは誰か名付けん」です。
迷信を信じる人たちを、このお札を使って巧みに言いくるめ、種痘を受けさせていたようです。

静岡県小笠原郡の種痘医、川田寿格門人による「疱瘡の神とは誰か名付けん」

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「疱瘡の神とは誰か名付けん」嘉永6年川田寿格門人(複製)


このお札「疱瘡の神とは誰か名付けん」の使われ方が載せられた、漫画ページをご紹介いたします。
まずは集客方法です。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)

次に患者への説得方法です。






(画像引用元:手塚治「陽だまりの樹」)

とりあえず物で釣ってる感じです。
私も物に釣られるタイプなのですが、見事にこれに引っかかりそうです。


その他

白髭人神社

中津市大新田にある白髭人神社関連の写真です。
『惣町大帳』の記録によると、1835年に奥平藩主が中津市大新田にある白髭人神社の痘瘡の神に祈祷を命じ、祈祷後のご洗米を痘瘡封じとして藩内に配布したそうです。*4

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種痘神社

『種痘新説』の他、種痘を行う際に使用する二又針も写っています。

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種痘新説

『内科秘録(刊)』(1864)

村上医科資料館所蔵の資料です。
先週の記事でご紹介いたしました。
perie.hatenablog.com

『痘瘡集験(稿?)』

こちらも中津市内の村上医科資料館所蔵の資料です。
多分、痘瘡関連の書物だと思います。




展示場所

大江医科資料館に数多く、村上医科資料館に少しばかり展示されています。

まとめ

長年国内では天然痘に苦しめ続けられました。その中で大分県中津市は、早い段階の1849年種痘元年のうちに種痘(天然痘の予防法)を行いました。中津の医師10人と子供が長崎まで種痘をもらいに行き、人間に種痘を植えて中津に持ち帰り、中津市民に広めていきました。やがてボランティア基金1861年に中津医学館が建設されて種痘館としても活用され、その後1871年12月に設立される中津医学校へと繋がりました。
中津市には天然痘と戦った医師たちの様々な資料が存在します。お時間がある方は、ぜひ中津市にお越しください。



関連

陽だまりの樹 コミック 文庫版 全8巻完結セット (小学館文庫)

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*1:厚生省の「検疫制度百年史」

*2:モダンメディア55巻11号2009[人類と感染症との闘い]『第 2 回「天然痘の根絶−人類初の勝利」』

*3:人と薬のあゆみ−疫病へのおそれ

*4:「水滴は岩をも穿つ」川島眞人 p62