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何か面白いことないかな

大分県中津市で見つけた歴史資料14『傷寒論(刊)』 (1801),『傷寒論新註(写)』(1851)

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。

今回は『傷寒論』を紹介いたします。

目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
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傷寒論』って何?

中国の古い医学書で、張仲景(150年頃 - 219年)によって熱病の治療法が記されたものです。
当時の漢方医が最も大切にしていた書物です。
漢方医学では、急に発熱する病気は「傷寒病(しょうかんびょう)」と呼ばれます。
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余談ではありますが、東京都品川のニホンドウ漢方ミュージアムにも版は異なりますが『傷寒論(写本)』(1733)が置かれています。それ程、漢方を勉強される方にとっては有名な書物です。
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テロップ
傷寒論」写本 享保十八年(1733年)
3正規初めに、張仲景によって編纂された。「傷寒論」と「黄帝内経」の二部で『傷寒雑病論』を構成しており、『神農本草経』『黄帝内経』とともに東洋医学の三大古典と称される。「傷寒論’は、主に急性伝染病に対応する治療法を記した医学書で、生薬を巧みに組み合わせた処方を多数掲載。後世高く評価され、多くの治療家の編纂・改訂を受け、今も漢方療法の指針となっている。

著者 張仲景

張仲景(150年頃 - 219年)は中国後漢三国時代に活躍した官僚・医師です。その医学上の功績から医聖とも称されているようです。

当時、張仲景が治めていた地域で「傷寒」という病気が流行しました。「傷寒」は現在の医学でどのような病気に当たるかは分かっていませんが、腸チフスや出血熱ウィルスのような、高熱が出る重症感染症であったようです。「傷寒論」の序文には次のようなことが書かれています。


「もともと私は大家族の生まれで、親戚が200人以上もいたが、建安元年(紀元後196年)から10年足らずの間に、3分の2が亡くなってしまった。そのうちの70%が傷寒にかかっていた。」

張仲景の身内の半分近くが「傷寒」で死亡したようです。このような背景があり、張仲景は古来の書物〜当時の医学書まで、入手できる限りの資料を参考にし、「傷寒」の治療論である『傷寒論』を書き上げたようです。*1


華岡塾でも使われていたであろう『傷寒論

福澤諭吉著「福翁自伝」の中の[漢家を適視す]の章に『傷寒論』について記載があります。
福澤諭吉の若かりし頃、大阪の蘭方医の緒方洪庵の書生だった時のお話です。

福澤諭吉著『福翁自伝』内 [漢家を適視す]の章
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(画像引用元:福澤諭吉福翁自伝』)


現代語訳
※注意)私自身、古典が弱いので間違った現代訳をしている可能性があります。


紀州(今の和歌山)の名医華岡青洲の塾の書生はみんな裕福なようで服装も立派で、なかなかもって私どものような蘭学生ではない。
毎度、往来に出会っても互いに言葉を交わさず、睨み合い、行き違った後に「あのざまぁ、どうだい?着物ばかり綺麗で何をしてるんだ。チンプンカンプンの講義を聞いて、その中で古く手垢のついてるやつが塾長だ。こんな奴らが2000年来の垢じみた傷寒論を土産にして国に帰って人を殺すとは恐ろしいじゃないか。今に見ろ!!あいつらを根絶やしにして息の根を止めてやるから!」なんてワイワイ言ったのはいつものことでありますが、これとても、こっちにこうという成算も何もありません。ただ漢方医流の無学無術を罵倒して、蘭学生の気焔を吐くばかりのことでした。

少々、華岡青洲の塾の生徒をからかった内容ではありますが、当時の漢方医が非常に重要視していた書物だったことが分かります。



前回の記事で紹介した和歌山の医師華岡青洲と縁がある塾が大阪にあったようです。
手塚治虫陽だまりの樹」に華岡塾の生徒が描かれているシーンがありました。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」 除痘館の章)

華岡青洲の学生、非常にチャラいですね...!彼らの教科書が『傷寒論』だったのでしょうか...。

中身はどんな感じ?

以下のデジタルアーカイブ版が、村上医科資料館に見開きで展示されている版に近いかと思われます。

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見開きで展示されている書物のページ
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(画像引用元:ベルリン国立図書館 デジタルデータベース 傷寒論, 1715

所蔵場所

村上医科資料館に展示されています。

中津市による目録によると、以下の版の『傷寒論』のようです。

傷寒論(刊) ショウカンロン 1冊117 漢 張仲景 (チョウチュウケイ) 享和1 (1801)
傷寒論新註(写) ショウカンロンシンチュウ 5冊 賀来佐之 (カクサユキ)・難波直(1851)
(引用元:村上医家史料館/資料目録/医学 | 大分県中津市

傷寒論』は長い歴史の中で、数多くの治療家によって編纂・校訂されつづけたので様々な版があるようです。

まとめ

大分県中津市の村上医科資料館には、数多くの治療家の編纂・改訂を受け、今も漢方療法の指針となっている『傷寒論』が置かれています。

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