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何か面白いことないかな

大分県中津市で見つけた歴史資料④『洋兵明鑑』(1869)

大分県中津市に仮暮らししています。小幡記念図書館で展示されている古書が気になって調べていました。


大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の里として『解体新書』の初版本が置いてあります。7月には中津祇園があります。
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一応、宣伝も兼ねて(?)毎度、中津市の場所を記載しています。

『洋兵明鑑』とは?


外国の戦術書を和訳した本です。1869年(明治2年)に発刊されました。
翻訳者は福沢諭吉・小幡兄弟(篤次郎・仁三郎)の3人です。

『洋兵明鑑』の凄いところ

この本の飜訳によって、芝新銭座時代の慶應義塾の校舎が1棟建ちました。
下図は明治元年、明治2年の慶應義塾の新銭座の校舎の平面図です。下図のピンク色で囲った2階建ての建物が、洋兵明鑑の飜訳代金によって建設された校舎ではないか?と言われているようです。*1

明治元年、明治2年の芝新銭座の慶應義塾の平面図
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(引用元:『慶應百周年史』 上巻318ページ)

『洋兵明鑑』の出版のいきさつ

慶應義塾の新校舎建設資金を捻出するために、福澤含む3人で分担して英書を飜訳した本です。以下は福澤全集緒言2巻「洋兵明鑑」に書かれた、この本を出版に至ったいきさつです。

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洋兵明鑑は一部の兵法本であるけれど、この本を飜訳にはワケがあった。
慶應義塾は慶応4年春に、江戸鉄砲洲から芝新銭座に移転した。
明治改元前で、ちょうど維新の兵乱最中だったので、新しい新銭座の塾では経営規模も小さかった。
それなのに入学する生徒が多く、とても入りきらない。校舎を新設するには資金が必要となるが、以前までの経営に有り金を既に使いつくしていた。
どうしたものかと当惑してアレコレと考えていた最中、熊本藩の兵法好きな知人が私の家に来訪した。「何かおもしろい新舶来の兵書はないだろうか?」との話が出て、偶然、私の手元にあった原書を見せた。「これは・・という本ですが、これを飜訳するのはどうでしょう?」と申し出ると、先方はとても喜び、私に飜訳出版を頼んできた。出版物ができたら熊本藩が何百部を引き取ることを約束して別れた。
急なことだったから、わたくし1人ではとても間に合わない。小幡篤次郎とその実弟の小幡仁三郎、わたくしの3人で同時に飜訳に着手した。こうして版行した『洋兵明艦』5冊を、約束通り何百部を熊本藩に納め、報酬として600円を受け取った。天から授かったような資金で、直ちに校舎の建設に取り掛かった。当時は物価も今と違って安く、およそ600円もあれば二階建ての一棟を立派に建築し、畳、建具も入れ、とても学生の役に立った。
このようなワケで、この飜訳本は熊本藩のために書いたので、世間一般には多く発売されず、他の出版した書籍とは事情が違う。


(※私自身、古典が弱いので、現代語訳おかしい部分があるかもしれません。)

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『洋兵明鑑』の中身

目次

巻之一
 總論
軍謀篇
 本陣
 應援の路
 工戰論
 防戰論
軍略篇
 三兵論
 三兵の基本及び其製〔制〕式
 歩兵論
 騎兵論
 砲兵論
 三兵製式論

巻之二
 陣列の基本
 本戰分戰小戦の事
 防戰
 防戰を以て敵の来攻を待つ事
 攻戰 附 陳列の事
 アルマの戰
 ワグラムの戰
 レウゼンの戰
 プラギューの戰
 タラヴラの戰
 オーストリツの戰

巻之三
 三兵活用論
 分用合用の大旨
 歩兵
 騎兵
 砲兵
 攻戰防戰に於て三兵各隊の用法
 攻戰防戰に於て三平合隊の用法
 ワートルローの戰

巻之四
雑事篇
 河越しの事
 マスセナがリムマット河越しの事
 引揚竝に追撃の事
 海軍侵掠竝に征伐の事
用兵の篇
 千八百六年ゼナの近傍に進軍運用の事
 千八百五年ウルムの近傍に進軍運用の事

巻之五
 進軍論 
 圍城論
 城守論
 陣営論



中身

軍事上の作戦、過去におきた戦争の解説(仏ナポレオンによる戦い)、陣営の構え方等があります。
下図はクリミア戦争(1853年〜1856年)の一つ、アルマの戦いの解説部分や、防衛のあたりの話の図です。

洋兵明艦2巻
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洋兵明艦5巻
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(引用元:Digital Gallery of Rare Books & Special Collections < デジタルで読む福澤諭吉 洋兵明鑑. 一 >

『洋兵明鑑』の原書

凡例に「1863年の米国版イルミ・スカーク氏『ソマリ・オフ・ゼ・アート・オフ・ウォーワ』」と書かれています。Emil Schalkの『Summary of the art of war』のことのようです。

Emil Schalk『Summary of the art of war』1862年版 米国ハーバード大所蔵
表紙
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目次
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アルマの戦いの図
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(引用:[https://catalog.hathitrust.org/Record/006509494?type=all&lookfor=summary of the art of war&ft=:title]

なぜ訳者 福澤諭吉が兵法を?

福澤諭吉はもともと砲術蘭学修行時代)を学んでいました。オランダ語・英語の違いはあれども、砲術周りの知識はあったように思われます。だから超特急でこの戦術書を飜訳することができたのではないでしょうか。

風雲児たち 幕末編9巻
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(引用元:風雲児たち 幕末編9巻 )

まとめ

福澤諭吉ら3名で『洋兵明鑑』は、外国の戦術書を和訳したものです。この飜訳代金によって、慶應義塾の新銭座時代の塾舎が1棟建ちました。
詳しい経緯は『福澤諭吉全集2巻「洋兵明鑑」の章』に書かれています。『洋兵明鑑』の内容は、仏国ナポレオンによる戦術例や、陣営の構え方など多岐に渡ります。もともと砲術の勉強していた福澤諭吉によっては、割と得意分野だったのでは無いでしょうか?

洋兵明鑑を読む方法

洋兵明鑑はデジタルアーカイブから読むことができます。

Digital Gallery of Rare Books & Special Collections < デジタルで読む福澤諭吉 洋兵明鑑. 一 >

国立国会図書館デジタルコレクション - 洋兵明鑑. 巻之1

  • カリフォルニア大学所蔵

[https://catalog.hathitrust.org/Record/008954462?type=all&lookfor=summary of the art of war&ft=:title]



原書はハーティートラストから読むことができます。
[https://catalog.hathitrust.org/Record/006509494?type=all&lookfor=summary of the art of war&ft=:title]



参考書

福沢諭吉著作集〈第12巻〉福翁自伝・福沢全集緒言

福沢諭吉著作集〈第12巻〉福翁自伝・福沢全集緒言

慶應百周年史 上巻p318
福澤諭吉全集 第2巻「洋兵明鑑」


p.389
福沢諭吉における執筆名義の一考察 : 時事新報論 説執筆者認定論への批判

*1:慶應百周年史』上巻 318頁 「近代教育の先駆」