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何か面白いことないかな

大分県中津市で見つけた歴史資料16 『内科秘録(刊)』(1864)

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。


前回の古書『虎狼痢治準』の紹介で、緒方洪庵が種痘の普及に奔走したエピソードがでてきましたので、今回は天然痘の治療法が記載されている『内科秘録(刊)』(1864)を紹介いたします。

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村上医科資料館所蔵 本間棗軒著『内科秘録(刊)』(1864)


目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
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『内科秘録(刊)』(1864)について

著者 本間棗軒について

著者の江戸時代の医師、本間棗軒(1804〜1872年)です。日本で初めて下肢切断手術を行った人です。
本間棗軒は、前にも本ブログでご紹介した華岡青洲の優秀な門下生でしたが、出版した本で青洲から教わった秘術を無断で公開したとして、破門されているそうです...。著書『内科秘録』は多岐にわたる内容ですが、本間棗軒は天然痘の予防法「種痘」の普及に努めていたので、種痘の方法についても詳しく解説されています。



写真は著者本間棗軒の肖像画のページです。

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村上医科資料館所蔵 本間棗軒著『内科秘録(刊)』(1864)



天然痘とは?

天然痘は、天然痘ウイルス(Variola virus)を病原体とする感染症の一つです。別名は疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)と呼ばれます。非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱ができます。そして致死率が平均で約20%〜50%と非常に高く、治ったとしても痕が残るようです。
その後、天然痘のワクチンができたお陰で、日本では1955年に天然痘は根絶し、世界では1980年にWHOによって天然痘の根絶宣言がされています。天然痘は世界で初めて撲滅に成功した感染症です。

歴史上の様々な人物が、天然痘になっています。

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(画像引用元:●アバタもニキビ?: 【漫画高校生物】マンガでわかる!超・高校生物入門 (旧「萌えろ!高校生物I・II」)

漫画「ベルサイユの薔薇」を見たことがある人はお馴染みの、マリー・アントワネットの義理の祖父ルイ15世も天然痘で最後死にました。最後、悲惨な姿になっていましたね...。

池田理代子 ベルサイユの薔薇
https://stat.ameba.jp/user_images/20161011/22/rakinoburogu/55/e0/j/o0960072013770644957.jpg?caw=800

症状

天然痘の症状は、めまい、激烈な頭痛、高熱、紅斑等で、潜伏期は12日です。
顔や前身に豆のようなボツボツ(膿疱)ができます。ネット上にたくさん天然痘患者の写真はありますが、刺激が強いので......割愛させていただきます。

3〜4日で発疹、顔や手から全身へ、水疱、膿疱
6〜7日で下がった熱が再上昇
8〜9日:乾燥、痂皮(かさぶた)、治癒

予防法(種痘)

天然痘ほど危険ではない「牛痘(牛がかかる天然痘)」にかかった人の膿を、まだ天然痘にかかっていない人にわざと植えつけて、天然痘の抗体を作る方法です。一度抗体ができれば、同じ病気にかからなくなります。


国立感染症研究所のウェブページによると、現在は天然痘が根絶されたので、種痘を行っている国はないそうです。
*1

発案者ジェンナー

英国人医師エドワード・ジェンナー (1749 〜1823年) が1798年天然痘ワクチンを開発しました。
18世紀半ば以降、牛の病気である牛痘にかかった者は天然痘にかからないことがわかっていました。そして、牛痘にかかった人は、あとも残らず軽度で済んでいました。その事実に注目し、研究したそうです。

『内科秘録(刊)』(1864)による種痘方法の説明

『内科秘録(刊)』の14巻目は、まるまる「種痘」の説明がされています。早稲田大学図書館でデジタル公開されているものを覗いてみましょう。

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早稲田大学図書館
内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著


種痘を施す腕に、包帯を巻くようです。

種痘施繃帯(ほうたい)圖(図)

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著


第一図は道具の説明のようです。
牛痘のカサブタが入ったガラス瓶や、包帯、種痘用ナイフ等が図で載せられています。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著

第二図、第三図は種痘の施し方と、アフターケアの包帯の図のようです。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著


第四図は種痘を施してから4〜5日後の様子です。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著


第五図は種痘を施してから6〜7日後の様子です。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著

第六図は種痘を施してから8〜9日後の様子です。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著


第七図は種痘を施してから11〜12日後の様子です。

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早稲田大学図書館 内科秘録. 巻之1-14 / 本間救 著

現代の天然痘

天然痘保有

天然痘ウイルスは天然痘根絶後、世界で2箇所、アメリカとロシアの実験室で、少量が冷凍保存されているそうです。

過去にWHOで1999年6月に、バイオテロ抑止等の目的で処分することが合意されたのですが、実行されませんでした。2002年5月にはWHO年次総会で「良いワクチンが開発されるまで延期」が決定し、事実上の無期限延期し、ズルズルと米国内で2011年、「バイオテロへの備え」を理由に、今後5年間は研究開発のためにウイルスを保持し続けることが提唱されたそうです。

要は地球上に、まだ天然痘ウィルスあるようです。


※アメリカはCDC(アメリカ疾病予防管理センター)、ロシアのVECTOR(ロシア国立ウイルス学・バイオテクノロジー研究センター)が天然痘保有しているらしい。

自衛隊がワクチン摂取

日本でも2001年同時多発テロ後に天然痘ワクチンの備蓄が始まり、天然痘ウイルスを使った生物テロに備え、イラクに派遣された数千人の自衛隊員には種痘の集団接種を行ったそうです。*2

展示場所

村上医科資料館に展示されています。

まとめ

大分県中津市の村上医科資料館には『内科秘録(刊)』(1864)があります。天然痘は致死率の高い感染症の一つです。予防接種は種痘で、人に牛痘を植える方法です。開発者はイギリス人医師ジェンナーです。江戸時代の医師、本間棗軒著の『内科秘録(刊)』には種痘の方法が紹介されています。世界では1980年にWHOによって天然痘の根絶宣言がされていますが、アメリカとロシアは未だに天然痘保有しています。国内ではイラクに派遣された自衛隊員も種痘の集団接種を行ったそうです。


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*1:天然痘(痘そう)とは

*2: 山内一也、三瀬勝利「ワクチン学」

今日の話 ランチ 豊橋市の老舗うどん屋「東京庵」1884

日記です。

地元近くの愛知県豊橋市の老舗うどん屋「東京庵」でランチしてきました。

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目次

愛知県豊橋市って?

愛知県と静岡県の県境です。
豊橋近辺に長年住んでいますが、個人的に名物は「ヤマサのちくわ」位しか思いつきません。
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豊橋といえば、東海道の「吉田」です。江戸から数えて34番目の宿場です。

葛飾北斎 富嶽三十六景 東海道吉田
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豊橋特有「にかけうどん」

「にかけうどん」とは、豊橋はじめ三河地域特有のうどんです。

三河地域と名古屋は同じ愛知県ですが、少々文化が異なります。
例えば味噌カツの味噌は名古屋がサラサラで豊橋はドロドロ等、人の気質が微妙に違い等、があります。

三河地域の地図
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(画像引用元:http://www.geocities.jp/jtohkai/sub50.htm

こちらが「にかけうどん」の写真です。

にかけうどん
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【にかけうどん】ご存じですか? | にかけうどん・水車そば 東京庵|豊橋・豊川|

以下は老舗うどん店「東京庵」さんのメニュー裏に書かれていた「にかけうどん」の説明です。

程よいコシの強さのもちもちした食感のうどん。つゆは宗田鰹とムロアジを中心としたダシがしっかり聞いたやや甘め。
この上に「かまぼこ」「刻み揚げ」「青味野菜」「花かつお」がのっている。
この具を荷物に見立て、「荷」を上からかけたうどんで「荷かけうどん」と呼んだ。また、「煮込んだ具」を上からかけたので「煮かけ」だとも。

老舗うどん屋「東京庵」

1884年明治17年)に創業された老舗うどん店です。1963年には高松宮妃殿下も来店されています。
店員が話しかけてきたり、客を家族のように暖かく接してきたりと、地元密着型感満載なお店です。



漫画『るろうに剣心』連載当初が明治11年設定なので、それから6年後に東京庵ができています。ヒロインの薫ちゃんが当初17歳設定なので、23歳の時にできたお店でしょう。


出典:『るろうに剣心明治剣客浪漫譚』1巻55ページ

店舗の歴史

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詳細はホームページより引用させていただきます。

東京庵は、明治十七年(一八八四年)に愛知県豊橋市の地に創業しました。
創業者の名は、戸倉常五郎。現在の東京都国分寺市出身で、現在も地名が残る戸倉新田の開拓者一族でした。
常五郎は、妻の出身地である豊橋に移り住み、現在の東京庵につながるうどん・そばを中心とした飲食店を始めました。
愛知県豊橋市で「東京庵」という店名は、常五郎が故郷の東京を想い名付けたものです。

(中略)

その後、三代目である戸倉岩夫は、最良の食材を求めて、地元は勿論、日本全国を巡り、さらにはオーストラリアや中国まで小麦やソバの栽培指導に出かけました。
そして、それまで受け継いできた伝統を基に様々な改良を試み、現在に続く東京庵の土台を築いたのです。
当時としては先進的なそれらの試みは、大変高い評価を獲得し、昭和三十八年(一九六三年)には高松宮妃殿下にご来店いただくという栄誉も賜りました。
(引用元:東京庵のご紹介 | にかけうどん・水車そば 東京庵|豊橋・豊川|

1963年、高松宮妃殿下が来店の際、鳥南蛮うどんを召し上がったそうです。

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引用元:高松宮妃殿下ご来店のこと | にかけうどん・水車そば 東京庵|豊橋・豊川|

余談:ヤマサのちくわ

話の本筋とは離れますが、妃殿下の背後に写っているカレンダーに、「ヤマサのちくわ」と書かれています。ヤマサは1827年(文政10年)創立の豊橋名物の老舗ちくわ屋です。


CM ヤマサのちくわ
内容は江戸時代のベストセラー『東海道中膝栗毛』(1802〜1809)に出てくる旅人、弥次さん喜多さんが、飛んできたヤマサのちくわの包みを見つけて追いかけます。すると突如新幹線が現われ、駅に停車し、車内から弥次さん喜多さんが降りてきます。2人の目の前には再びヤマサのちくわの包みが現れ、2人がそれに飛びつきます。
「昔も今も変わらぬうまさ」「これだ!豊橋名産ヤマサのちくわ」というナレーションが挿入されるというものです。

調べていて分かったのですが、『東海道中膝栗毛』著者の十返舎一九(1765〜1831)の晩年に、ヤマサが創設(1827)されているようです。ヤマサも大分、古いお店のようです。

釜揚げうどん

ここまでの説明長くなりましたが、本日いただいた「釜揚げうどん」です。

こちらのお店は、薬味を沢山用意してもらえるのが特徴でしょうか…?


うずらの卵生産量日本一 豊橋

こちらの写真、豊橋地域でよく目にする便利アイテム、うずらの卵用はさみです。
豊橋はうずらの卵生産量日本一だからか、お店で時々目にします。

愛知県はうずら卵の生産では全国シェアの約70%を占め、さらに豊橋地域は、県全体の約85%を占めて全国一の産地を形成しています。現在、豊橋地域では27戸の養鶉農家が約310万羽を飼育しており、1日当たり250万個余の産卵量となります。
(引用元:豊橋のうずら | 豊橋養鶉農業協同組合


今年は大河ドラマ「直虎」の影響で浜松のお越しの方も多いと思います。
浜松ー豊橋間、電車で30分程ですので、ついでにお立ち寄りください。

今日の話 ランチ 愛知県豊橋市の菜飯田楽「きく宗」1807

日記です。

愛知県豊橋市の老舗 菜飯田楽店でランチしてきました。

愛知県豊橋市って?

愛知県と静岡県の県境です。
地元民ですが、名物は「ヤマサのちくわ」位しか思いつきません。
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豊橋といえば、東海道の「吉田」です。江戸から数えて34番目の宿場です。

菜飯田楽店「きく宗」

菜飯田楽店「きく宗」さんは創業200年近くの老舗です。
菜飯田楽定食です。

こんがり焼かれた自家製豆腐に秘伝の味噌をぬった田楽と、細かくきざんだ大根の葉を混ぜ合わせた「菜めし」です。


有名店なので、様々な本の中で取り上げられているようです。

お店の外観です。目の前の道路は東海道です。


大分県中津市で見つけた歴史資料15『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』(1858)

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。
そろそろ、中津唐揚げ禁断症状が出始めてきました。揚げたてジューシーな中津唐揚げ食べたいです...。


今回は『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』(1858)を紹介いたします。
目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
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『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』について

『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』とは、江戸時代に大流行りしたコレラの治療法について書かれた書物です。江戸ではコレラのことを「虎狼痢(コロリ)」と呼ばれていたそうです。

こちらの『虎狼痢治準』に書かれている「適適斎」すなわち著者の緒方洪庵の蔵版で、表紙見返し右下には「適適斎」の朱印が押されています。

こちらの「家塾虎狼痢治則(写本)」は、緒方洪庵コレラ治療法を簡潔に要領よく書いた小冊子です。

こちらは「虎狼痢病私緑」です。

『虎狼痢治準』の中身ってどんなの?

『虎狼痢治準』は、当時コレラについてオランダ軍医ポンぺが口授した内容を筆記し、さらにモスト、カンスタット、コンラジという3人の医師が書いたコレラについての書物を訳し、まとめられたものです。緒方洪庵自身の経験則も交えながら、症状や治療法が詳しく解説されています。
コレラ流行最中に、他の医師たちに配布し、コレラ対策に役立ててもらうことを目的としていたため、編集期間はわずか4~5日という短さだったそうです。 *1


詳しくご覧になりたい方は、以下の引用元のリンク先へお進みください。

早稲田大学 古典籍総合データベース 虎狼痢治準
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(引用元:虎狼痢治準 / 緒方洪庵 訳述

『虎狼痢治準』の筆者 緒方洪庵について

著者の緒方洪庵は、武士、医師、蘭学者でした。大坂に適塾を開き、福澤諭吉等の人材を育てました。
緒方洪庵の詳細は、以下の漫画をご覧ください。

広がれ種痘の輪!VS天然痘 緒方洪庵物語
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(引用:広がれ種痘の輪!VS天然痘 緒方洪庵物語 | まんがCAPTURE WEB漫画サイト

江戸とコレラ

コレラで江戸だけで24万人が死亡したと言われています。
安政5(1858)年5月 幕末の日本でコレラが大流行するきっかけとなったのは、一隻のアメリカ船でした。長崎に上陸したコレラは次々と死者を出しながら北上、わずか1ヶ月で西日本一帯に広がり、その後、被害は江戸にまで及んだそうです。
そのような経緯があり、幕末をテーマにした漫画やドラマでコレラ発生が取り上げられることがあります。

手塚治虫著「陽だまりの樹」内のコレラ

手塚治虫著「陽だまりの樹」の中にコレラについて描かれている章がありました。その中に『虎狼痢治準』が出てきています。


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手塚治虫陽だまりの樹

ドラマ「JIN」内のコレラ

ドラマ「JIN」の第二話が江戸でコレラが発生したお話でした。その中で『虎狼痢治準』が出てくるシーンがありました。

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(画像引用元:ドラマ『JIN」第二話)


セリフ
山田先生「そんなことでコロリが治るわけがなかろう。モストによるとアヘンやキニーネを飲ませたり、患者の皮膚を摩擦したり、風呂に入れ発汗させたり、それだけの手をかけねばならんとされている病気なのだ。『虎狼痢治準』にも書かれてある。」

南方仁先生「その治療は恐らく、有効では無いと思われます」

山田先生「お主!!この虎狼痢治準は緒方先生が西洋の書物を翻訳し、まとめられたものであるぞ!」

南方仁先生「すみません...でも」

緒方先生「承知しています。虎狼痢治準では治りません。」

そういえばヒロインの橘咲さんのお父様も、コレラで他界された設定でしたね。

るろうに剣心

主人公の緋村剣心の両親が、1858年のコレラで亡くなった設定です。

コレラについて

そもそもコレラって何?

概要

コレラ(Cholera、虎列剌)は、コレラ菌(Vibrio cholerae)を病原体とする経口感染症の一つで、コレラ菌によって小腸がおかされる急性伝染病です。
最も重要な感染源は、患者の糞便や吐瀉物に汚染された水や食物だそうです。

症状

「米のとぎ汁様」の猛烈な下痢と嘔吐を起こすそうです。回数は一日20~30回に及び、ヒドイ時には1時間で1リットルの水分を失ってしまいます。



興味がある方用ですが、以下の国立感染症研究所のページで、コレラによる「米のとぎ汁様」のような水便等の症状を見ることができます。
NIID 国立感染症研究所 - コレラとは

コレラの治療法

コレラにおいて直接の死亡原因は大量の下痢と嘔吐による、水と電解質の損失による脱水症状です。
従って、失われた水と電解質を補給することで、コレラによる死亡は抑制できるそうです。

近代のコレラ

1970年代の日本

1970年代頃、日本でもコレラはまだ存在しているようです。
手塚治虫の漫画「ブラックジャック」の中でも、主人公ブラックジャックコレラに感染した疑いの回がありました。漫画「ブラックジャック」は1973〜1978年に連載されていた漫画なので、1970年代には割と身近に起こりうる病だったように思われます。

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(画像引用元:手塚治虫著「ブラックジャック」206 コレラさわぎ)
あらすじ
空港で医師団と出会ったブラックジャックは、友人に誘われ酒に付き合った。しかしその直後、医師団の中でコレラが発生したというニュースを聞く。自分も感染したかもしれない。それを恐れたブラックジャックは自分で自分を隔離した。一方、ブラックジャックの家ではブラックジャックの帰りを待っていた患者が意識を失って倒れ、危険な状態になっていた。しかしブラックジャックは帰れない--。
*2

そして、私の母が学生時代(1970年代)、母の実家近くの和歌山県海南市で流行っていたそうです...。

最近のコレラ発生国

今でも発展途上国の比較的不衛生な地域では発生しているようです。
以下は、WHOによるコレラ発生国のレポートです。

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(引用元:WHO | Areas affected by cholera epidemics

コレラ猛威中のイエメン

つい最近では、アフリカのイエメン等の国でコレラが猛威を振るっていたようです。

コレラ猛威、30万人超感染疑い 中東・アフリカ、国連警告 」日本経済新聞 2017/7/5 19:12

 【ニューヨーク=共同】国連児童基金ユニセフ)は4日、中東のイエメン、アフリカの南スーダンソマリアの3カ国でコレラが猛威を振るい、子供に多くの犠牲者が出ていると発表した。感染者や感染が疑われる人は計30万人を超えたが、食料不足もあり、流行が終息する気配はみえないと警告した。

 3カ国は干ばつや内戦などで食料や医薬品不足に陥っており、栄養失調の子供にコレラ流行が追い打ちをかけている。ユニセフは国際社会に改めて支援強化を求めた。

 ユニセフによると、事態が最も深刻なのは内戦下のイエメンで、感染が疑われる人は26万人以上、死者は1600人を超えた。感染疑いの半数、死者の4分の1が子供だ。栄養失調の子供は約220万人。

 ソマリアの感染者は約5万3千人で、140万人の子供が栄養失調状態。南スーダンでも約6900人が感染しているとみられ、半数以上が20歳未満。栄養失調の子供も110万人に上る。

 ユニセフ当局者は「栄養失調の子供が病気にかかると死に至る可能性が高い。至急、栄養状況を改善する必要がある」とし、緊急支援を求めた。

 コレラコレラ菌を原因とする感染症で、汚染された水などから罹患(りかん)する。
(引用元:コレラ猛威、30万人超感染疑い 中東・アフリカ、国連警告 :日本経済新聞

おまけ:コレラ菌を飲み干した学者

昔、テレビ番組「トリビアの泉」で紹介されていたのですが、コレラ菌の存在を否定するためにコレラ菌を飲み干した学者がいるそうです。
時代は1892年10月にドイツの衛生学者、化学者マックス・ヨーゼフ・フォン・ペッテンコーファー(Max Josef von Pettenkofer、1818年-1901年)によるものです。
詳細は以下の動画をご覧ください。

コレラ×2・トリビア(trivia)



展示場所

村上医科資料館に展示されています。

まとめ

大分県中津市で『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』(1858)を見ることができます。『虎狼痢治準』とは、江戸時代に大流行りしたコレラの治療法について書かれた書物です。大阪の武士・医師・蘭学者緒方洪庵が書きました。コレラで江戸だけで24万人が死亡したと言われ、たびたび幕末をテーマにしたドラマや漫画でコレラが取り上げられることがあります。
未だに海外で発生しているので、渡航の際はお気をつけください。



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大分県中津市で見つけた歴史資料14『傷寒論(刊)』 (1801),『傷寒論新註(写)』(1851)

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。

今回は『傷寒論』を紹介いたします。

目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
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傷寒論』って何?

中国の古い医学書で、張仲景(150年頃 - 219年)によって熱病の治療法が記されたものです。
当時の漢方医が最も大切にしていた書物です。
漢方医学では、急に発熱する病気は「傷寒病(しょうかんびょう)」と呼ばれます。
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余談ではありますが、東京都品川のニホンドウ漢方ミュージアムにも版は異なりますが『傷寒論(写本)』(1733)が置かれています。それ程、漢方を勉強される方にとっては有名な書物です。
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テロップ
傷寒論」写本 享保十八年(1733年)
3正規初めに、張仲景によって編纂された。「傷寒論」と「黄帝内経」の二部で『傷寒雑病論』を構成しており、『神農本草経』『黄帝内経』とともに東洋医学の三大古典と称される。「傷寒論’は、主に急性伝染病に対応する治療法を記した医学書で、生薬を巧みに組み合わせた処方を多数掲載。後世高く評価され、多くの治療家の編纂・改訂を受け、今も漢方療法の指針となっている。

著者 張仲景

張仲景(150年頃 - 219年)は中国後漢三国時代に活躍した官僚・医師です。その医学上の功績から医聖とも称されているようです。

当時、張仲景が治めていた地域で「傷寒」という病気が流行しました。「傷寒」は現在の医学でどのような病気に当たるかは分かっていませんが、腸チフスや出血熱ウィルスのような、高熱が出る重症感染症であったようです。「傷寒論」の序文には次のようなことが書かれています。


「もともと私は大家族の生まれで、親戚が200人以上もいたが、建安元年(紀元後196年)から10年足らずの間に、3分の2が亡くなってしまった。そのうちの70%が傷寒にかかっていた。」

張仲景の身内の半分近くが「傷寒」で死亡したようです。このような背景があり、張仲景は古来の書物〜当時の医学書まで、入手できる限りの資料を参考にし、「傷寒」の治療論である『傷寒論』を書き上げたようです。*1


華岡塾でも使われていたであろう『傷寒論

福澤諭吉著「福翁自伝」の中の[漢家を適視す]の章に『傷寒論』について記載があります。
福澤諭吉の若かりし頃、大阪の蘭方医の緒方洪庵の書生だった時のお話です。

福澤諭吉著『福翁自伝』内 [漢家を適視す]の章
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(画像引用元:福澤諭吉福翁自伝』)


現代語訳
※注意)私自身、古典が弱いので間違った現代訳をしている可能性があります。


紀州(今の和歌山)の名医華岡青洲の塾の書生はみんな裕福なようで服装も立派で、なかなかもって私どものような蘭学生ではない。
毎度、往来に出会っても互いに言葉を交わさず、睨み合い、行き違った後に「あのざまぁ、どうだい?着物ばかり綺麗で何をしてるんだ。チンプンカンプンの講義を聞いて、その中で古く手垢のついてるやつが塾長だ。こんな奴らが2000年来の垢じみた傷寒論を土産にして国に帰って人を殺すとは恐ろしいじゃないか。今に見ろ!!あいつらを根絶やしにして息の根を止めてやるから!」なんてワイワイ言ったのはいつものことでありますが、これとても、こっちにこうという成算も何もありません。ただ漢方医流の無学無術を罵倒して、蘭学生の気焔を吐くばかりのことでした。

少々、華岡青洲の塾の生徒をからかった内容ではありますが、当時の漢方医が非常に重要視していた書物だったことが分かります。



前回の記事で紹介した和歌山の医師華岡青洲と縁がある塾が大阪にあったようです。
手塚治虫陽だまりの樹」に華岡塾の生徒が描かれているシーンがありました。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」 除痘館の章)

華岡青洲の学生、非常にチャラいですね...!彼らの教科書が『傷寒論』だったのでしょうか...。

中身はどんな感じ?

以下のデジタルアーカイブ版が、村上医科資料館に見開きで展示されている版に近いかと思われます。

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見開きで展示されている書物のページ
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(画像引用元:ベルリン国立図書館 デジタルデータベース 傷寒論, 1715

所蔵場所

村上医科資料館に展示されています。

中津市による目録によると、以下の版の『傷寒論』のようです。

傷寒論(刊) ショウカンロン 1冊117 漢 張仲景 (チョウチュウケイ) 享和1 (1801)
傷寒論新註(写) ショウカンロンシンチュウ 5冊 賀来佐之 (カクサユキ)・難波直(1851)
(引用元:村上医家史料館/資料目録/医学 | 大分県中津市

傷寒論』は長い歴史の中で、数多くの治療家によって編纂・校訂されつづけたので様々な版があるようです。

まとめ

大分県中津市の村上医科資料館には、数多くの治療家の編纂・改訂を受け、今も漢方療法の指針となっている『傷寒論』が置かれています。

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今日の話 薬膳ランチ

日記です。


東京都品川駅近くの日本堂ミュージアムに行って来ました。カフェ併設で、ランチも提供されていました。


目次

食べたモノ

いただいた平日限定の日替わりランチです。サーモンと木の子のクリームスパゲティでした。


おしゃれな雰囲気の店内でした。

メニュー

本日のお茶は軽々茶でした。

日替わりランチのメニューです。どれも美味しそう…。

この様な鍋料理もあります。

メニューの裏には、食材の効能が乗せられています。

外観

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この看板に惹かれてお店に入ってしまいました。
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漢方ミュージアム内

日本堂 漢方ミュージアム内です。

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今日の話 東京都新大久保の韓国料理 参鶏湯(サムゲタン)

日記です。
東京の友人達に会ったり、美術館を巡ったりしてきました。

ついでに、東京の新大久保で参鶏湯(サムゲタン)を食べてきました。
※新大久保...東京の山手線にある駅の一つ。コリアンタウンが広がり、韓国料理屋や韓国雑貨店等が立ち並ぶ街。






いただいた参鶏湯です。鶏が丸ごと一羽入っているので、生命食べさせてもらってる感があります。


参鶏湯の付け合わせです。
私は辛いものが食べられないので、韓国海苔だけいただきました。
お茶はトウモロコシのヒゲ茶(南蛮毛)でした。



参鶏湯(サムゲタン)とは?

参鶏湯(サムゲタン)とは、韓国料理で鶏一匹まるまる使い、高麗人参やナツメ等などの漢方食材やもち米と一緒に煮込んだスープ料理です。



参鶏湯を食べる日

韓国だと日本で言うところの「土用の丑の日に鰻を食べる」ように、「三伏の日に参鶏湯を食べる」が定着し、夏バテ時の疲労回復としてよく食べられているそうです。韓国語には四文字熟語「以熱治熱(熱を以って熱を治す)」という言葉があるそうで、熱い日こそ熱いモノを食べるという韓方医学(韓国の東洋医学)の考えから来ているようです。


三伏(さんぷく)...陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。7月中旬〜8月上旬のちょうど酷暑の頃。東医宝鑑でも、三伏の日は特にひどい暑さでばててしまうために精をつけなければならないと書かれているらしい。

※東医寶鑑...1613年に刊行された、23編25巻からなる李氏朝鮮時代の医書。ホ・ジュン著。朝鮮第一の医書として評価が高い書物








暑い日に熱いモノをなぜ食べる?(「以熱治熱」の理論)

韓国では何故暑い日に熱いモノを食べられるのかか調べていたのですが、身体の体温調節に関わるそうです。
質問サイトでわかりやすく解説されている方がいたので、以下にご紹介いたします。

「以熱治熱」:①熱を持って熱を治す②力には力で対応する

韓国医学で「以熱治熱」だと、真夏に熱い鍋を食べるのは、身体の体温調節能力の関係があるそうです。

冬は寒い気候のせいで手足や肌の血管が収縮して肌の温度が下がると、お腹の方は血液の供給がしやすくなり、温かくなります。
しかし夏だと逆に血管が膨張して肌が熱くなり、お腹は冷たくなるのです。つまり、外気温が熱くなると内臓は冷める、身体か寒くなるも内臓は温かくなります。真夏の冷えている胃腸にさらに冷たいもの、アイスや冷麺を食べるとお腹を壊したり下痢になったりするのがその理由なんです。

なので、韓国は昔から暑い夏には温かいサムゲタンなどでお腹を温めて体調を調整してきたのです。サムゲタンに入る高麗人参や薬味で夏バテを予防するのも兼ねて。現在韓国の漢医学でも胃腸が弱い人はなるべく真夏に冷たい物は控えて秋に食べるのをおすすめしています。
(引用元:『以熱治熱』日本語ではどういえば通じますか? - 韓国で若い時ホー... - Yahoo!知恵袋

参鶏湯に入っている食材


今回いただいた参鶏湯の中に入っている食材です。

高麗参鶏湯の効能:

高麗人参:元気を出してくれる・喉の渇きを防ぐ
黄芪(黄耆):皮膚機能保護・制汗作用・免疫機能強化
鹿茸:骨髄の造血機能改善・貧血に効果
カボチャの種:高血圧の予防
くるみ:皮膚の潤いを保つ・長寿食品
松の実:コレステロールをなくす
ひまわりの種:動脈硬化など成人病予防に効果

あまり詳しくないのですが、なんだか健康に良さそうです...!


食べた場所

東京都 新大久保駅近くの「高麗参鶏湯」でいただきました。
韓国や日本国内のあちらこちらで食べましたが、個人的に一番好きな味のお店です。


まとめ

東京の新大久保で参鶏湯(サムゲタン)を食べてきました。参鶏湯とは、鶏一匹まるまる使い、高麗人参やナツメ等などの韓方薬剤やもち米と一緒に煮込んだスープ料理です。参鶏湯には朝鮮人参等の様々な韓方薬剤が入っており、韓方医学で言う「以熱治熱」の考えから、あえて夏に熱い参鶏湯を食べるそうです。暑い日に熱いモノを食べるのは、身体の体温調節能力を考慮してのようです。


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東医寶鑑の作者の話

大分県中津市で見つけた歴史資料13 『華岡青洲画像』

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。

今回は『華岡青洲画像』を紹介いたします。

目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄えていたので、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができます。
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華岡青洲画像』ってなに?

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華岡青洲(1760〜1835)が描かれた掛け軸です。中津の医師、大江雲澤が大阪で華岡青洲の娘婿に医学を習いに行った際、免許皆伝代わりに、この華岡青洲画像を譲り受けたそうです。

華岡青洲とは?

和歌山県出身のお医者さんで、世界初の全身麻酔による手術(乳癌手術)を成功した人です。
とても有名な方で、マンダラゲ(別名:チョウセンアサガオ)を使用した、麻酔開発のエピソードが度々ドラマ化されています。
華岡青洲の詳細エピソードは以下の漫画をご覧ください。

WEB漫画「まんだらげの華 華岡青洲物語」
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(引用元:まんだらげの華 華岡青洲物語 | まんがCAPTURE WEB漫画サイト

華岡青洲が作り出した 通仙散(別名:麻沸湯)について

華岡青洲が実母や妻を人体実験にして開発した麻酔薬が、通仙散(別名:麻沸湯)です。通仙散の最終処方はトリカブト・マンダラゲ・当帰・白芷・川芎・天南星の6種類です。それまでの外傷等の治療は無麻酔で行われ、酒を飲ませたり、頭を殴打する、首を絞めて気絶させる等、乱暴な方法だったようです。

通仙散の主成分はマンダラゲです。マンダラゲの主成分はアトロピン、スコポラミンで副交感神経を抑制するため頻脈をきたし、増量すると意識消失をきたすそうです。
トリカブトは鎮痛作用をもつけれど、増量すると徐脈をきたし、心停止に至るそうです。この両方を混ぜて、トリカブトの徐脈という毒性をマンダラゲでどう抑制するかが麻酔開発のキーポイントとなっていたようです。*1

麻酔の実験台にされた華岡青洲の実母は、トリカブトの副作用のためか中毒を起こして死去したと言われています。そして妻はマンダラゲのアトロピン作用による眼圧の亢進のためか失明してしまったようです。



通仙散の原料 マンダラゲ(別名:チョウセンアサガオ)について

通仙散の原料に使われていたマンダラゲですが、葉や根など全体に毒があります。
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大江医科資料館内の説明に「マンダラゲの名前は、欧州のナス科植物『マンドラゴラ』の名前に由来している」と説明が書かれていました。マンドラゴラとマンダラゲの共通点と言えば、両方とも毒性のある植物というところでしょうか。



個人的にマンドラゴラというと、どうしても伝説上の食物のイメージが強いです。

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『健康全書』 (Tacuinum Sanitatis) に描かれたマンドラゴラ (1474)。

マンダラゲの注意

マンダラゲの根とゴボウの根を間違えて食すなど、意外と多いようです。
厚生労働省より自然毒のリスクとして紹介されているほどです。

自然毒のリスクプロファイル:高等植物:チョウセンアサガオ厚生労働省

2008年1月、兵庫県内で、家の畑から引き抜いた植物の根を使って調理した「きんぴらごぼう」を食べた人(2名)が、約30分後にめまい、沈鬱となり、以後瞳孔拡大・頻脈・幻視等の症状を呈して入院するという食中毒事例が発生した。県の健康福祉事務所が調査したところ、「ごぼう」と「チョウセンアサガオの根」を間違えて採取・調理し食べていたことがわかった。

2007年3月に福岡県遠賀保健福祉環境事務所管内で、1家族3名がチョウセンアサガオを誤食し、意識障害・幻覚などの症状を訴える食中毒が発生した。原因は、チョウセンアサガオの果実をオクラと間違え、かき揚にして食べたことによる。
自然毒のリスクプロファイル:高等植物:チョウセンアサガオ|厚生労働省


本当に似ているかどうか、確認してみましょう。

左:ゴボウ 右:チョウセンアサガオ
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以下:ゴボウの根
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以下:マンダラゲの根
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(画像引用元:チョウセンアサガオによる食中毒について - 岡山県ホームページ(生活衛生課)

普段料理し慣れていない人や、目の悪い人なら間違えてしまいそう?


上:チョウセンアサガオのつぼみ(毒)と下:オクラ(食用)
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画像引用元:チョウセンアサガオ類|「食品衛生の窓」東京都福祉保健局

よくよく見ると違いますが、急いでいたら区別つかないかもしれませんね...


華岡青洲画像』はどこに置いてあるの?

大江医科資料館に置かれています。
大江医科資料館の薬草園にはマンダラゲが植えられており、薬草園だけ入園無料です。ちなみにこちらの薬草園、エーザイの薬草園から種子を提供してもらっているそうです。


余談ですが、大江医科資料館で薬草園では、毎年2回「マンダラゲの会」という名前で、雑草取りイベントが開催されています。草取りの後は、中津に関連するテーマの講演会が開かれます。

前回のマンダラゲの会のチラシ
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(引用元:マンダラゲの会

次回は平成29年11月4日(土)開催予定で、講演は神戸輝夫先生による 「帆足萬里について」だそうです。興味のある方はぜひご参加ください。

まとめ

大分県中津市の大江医科資料館には華岡青洲の掛け軸が置かれています。中津市出身の医師大江雲澤が、免許皆伝代わりに譲り受けたそうです。華岡青洲は日本で初めて全身麻酔による手術を施したお医者さんです。その全身麻酔を開発するために、マンダラゲ(別名:チョウセンアサガオ)を使った薬を開発しました。そんなマンダラゲですが、現代ではマンダラゲの根とゴボウの根と間違えて食べて中毒になってしまう等のケースが見られます。皆さん、間違って食べてしまわぬよう気をつけましょう。

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華岡青洲の妻 [DVD]

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*1:「水滴は岩をも穿つ」川島眞人 p78