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何か面白いことないかな

ミシュラン・グリーンガイド大分 WEB版に「羅漢寺」「青の洞門」が選出

単なる宣伝です。

大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。

先日、中津市公式観光サイトを眺めていました。
すると日本ミシュランタイヤ株式会社が大分県内の観光地・観光施設を紹介する「ミシュラン・グリーンガイド大分 WEB版」で、「羅漢寺・青の洞門」が選出されたそうです。

ミシュラン・グリーンガイド(大分 WEB版)に「羅漢寺・青の洞門」が選出!★★ | 大分県中津市


別府温泉、 湯布院温泉に行くついでに、ぜひ中津市にもお立ち寄りください。


目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
今は「中津からあげ」と鱧が有名です。

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(画像引用元:中津市へのアクセス | 大分県中津市

ミシュラン・グリーンガイド大分 WEB版」に掲載された場所

ミシュラン・グリーンガイド大分 WEB版」に選出された場所を簡単に紹介します。

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画像:https://travelguide.michelin.com/asia/japan/oita

羅漢寺

羅漢寺は500体以上の石仏を見ることができます。
2014年に国の重要文化財に指定されました。
観光リフトを使えば楽々と山頂へたどり着きます。


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(写真:羅漢寺 | 中津耶馬溪観光協会

福澤諭吉も幼少期訪れたそうです。

青の洞門

青の洞門とは、禅海和尚が自力で岩壁を掘り始めて作ったトンネルです。
このトンネルのおかげで、沢山の人を転落事故から救いました。

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(写真:青の洞門 | 中津耶馬溪観光協会

まとめ

ミシュラン・グリーンガイド大分 WEB版」に「羅漢寺」・「青の洞門」が選出されました。ドライブがてら、ぜひ中津市にお立ち寄りください。

参考

青の洞門物語

青の洞門物語

今日の話 伊勢神宮参拝

単なる日記です。

本日は伊勢神宮で御神楽を奉納してきました。

御神楽のお下がりです。

御神酒、鰹節、塩、米、昆布、スルメイカ、お箸が入っていました。

参拝を終え、おかげ横丁で食事をしていると一気に友人3人から連絡が来ました。神のご利益でしょうか?

お金関連の話① 160年前の日本の経済オンチっぷり

今年2018年は明治元年から150年です。


それに関連して、日本各地で明治150周年イベントが行われるようです。東京証券取引所までイベントを開催している模様です。

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企画展 証券市場の歴史展 | 日本取引所グループ


年末年始、テレビでも街中でもbitFlyerの広告宣伝を頻繁に見かけました。写真は昨年末、六本木を歩いているときに見かけたトラック広告です。 金融に興味を持つ人が増えているのは嬉しいことです。ミスターワタナベ(日本人投資家たちのこと)は稼げるうちに稼いで、日本経済を潤して欲しいですね。


前置きが長くなりましたが、160年ほど前に起きた経済オンチ政策と、金を取り戻すのに奮闘した森村市左衛門の話を紹介いたします。


目次

おっと、海外に金が流出しちゃったぞ(1857年下田協約)

開国するにあたり、静岡県の下田で為替のレートの話し合いが行われました。そこで日本の経済オンチっぷりを発揮し、国内から金が流出する事態が起きました。

詳細は以下の漫画「風雲児たち幕末編」をご覧ください。






写真:風雲児たち幕末編 12巻

「インフレ」の極端な事例として、ジンバブエドルの画像を貼っておきます。
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20150707/54/5839104/41/214x236x7f40a1a40081599265f38b59.jpg





流出した金を取り戻せ!

1857年の下田条約によって、国内から無尽蔵に金が流出していきましたが、それを憂いた人物がいます。これから紹介する森村市左衛門です。

商売人 森村市左衛門の憂鬱

森村市左衛門は、現ノリタケカンパニーリミテドTOTO日本ガイシ等の設立者です。森村は天保10年(1839年)に江戸・京橋の馬具・袋物商の長男として生まれました。

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熊本県小国町 北里柴三郎記念館パネル 森村市左衛門

安政5年(1858年)の日米修好通商条約締結の開港を受け、翌年から横浜で外国人の洋服・靴・鉄砲・懐中時計などを仕入れ土佐藩・中津藩などに販売を始めました。この頃、中津藩の福澤諭吉と知り合い、仲良くなります*1


万延元年(1860年)幕府は日米修好通商条約に批准する使節団を派遣することになり、米国への贈答品の注文が森村の店に舞い込みました。
使節団が米国で使用する通貨への両替も頼まれたので、市太郎が横浜の両替所で交渉したが、日本の小判(金)とメキシコ銀貨の交換レートは1:2だった。国際レートは1:4だったから外国商人はぼろ儲けです。*2。このことを憂いた森村は、福澤諭吉に相談することにしました。


福澤諭吉に相談だ!

金の流出を憂いた森村は、福澤諭吉に相談したところ「国外に流出した金を取り戻すには輸出貿易で外貨を稼ぐのが一番だ」とのアドバイスを受けました。

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熊本県小国町 北里柴三郎記念館パネル 福澤諭吉

まだ鎖国が解かれたばかりの時代でしたが、森村市左衛門は輸出貿易に乗り出すことにしました。


その後、1878年ニューヨークの六番街238番地に、輸入雑貨店「モリムラ ブラザーズ(Morimura Bros. & Company)」を開業し、陶磁器や漆器、印籠、屏風、掛軸、団扇などの伝統的な日本の雑貨を販売に至ります*3

やがて洋食器ノリタケの販売が始まります。



まとめ

160年ほど前、鎖国を解いたばかりの日本は金が流出していました。それを森村市左衛門が取り戻すために奮闘しました。

〜次回に続く?〜

参考

大分県中津市で見つけた歴史資料22『解体新書』(1744)

明けましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしたか?私は年末年始は地元の観光施設に訪れたり、ドライブしたりして楽しんでいました。


1月1日は正月時代劇「風雲児たち蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」を見ていました。
平賀源内の劇中の以下の台詞、好きでした。

「金が動けば世の中に活気が生まれる。世の中が潤う」

「私は何をやるために生まれて来たのかまだ分かりません。才能ありすぎるのも困ったものだ」


昨年まで、大分県中津市に仮住まいしていました。蘭学関係の古文書が数多く置かれているので「中身はどのようなものか」と気になり、興味本位で調べています。
今回はドラマで取り上げあられた『解体新書』と、ドラマの補足情報でも書いてみようかと思います。


目次

大分県中津市ってどこ?

前野良沢が所属する豊前国中津藩ですが、現在の大分県中津市です。
福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
今は「中津からあげ」と鱧が有名です。

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(画像引用元:中津市へのアクセス | 大分県中津市


『解体新書』翻訳場所は豊前国中津藩江戸屋敷(つまり東京)の前野良沢邸なので、大分県中津市は出てきませんが....。

『解体新書』について

『解体新書』(かいたいしんしょ、解體新書)は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)。安永3年(1774年)、須原屋市兵衛によって刊行される。
解体新書 - Wikipediaより引用)


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大分県中津市に展示されている『解体新書』初版本)

解体新書の製作ピソード漫画

1月1日の正月時代劇「風雲児たち蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」を見ていない人のために、『解体新書』の出版までのエピソードについて書かれた漫画を貼っておきます。
前野良沢の名前を出さなかった経緯はドラマとは異なりますが、出版に至るまでの流れは同じです。

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(引用元:レジェンド・オブ解体新書 杉田玄白物語 | まんがCAPTURE WEB漫画サイト

ドラマでもでてきましたが、この翻訳の際に日本人に受け入れやすい言葉として作り出された単語「十二指腸」や「神経」は、今も使われています。


『解体新書』は『ターヘルアナトミア』を正確に翻訳できているか?…と言う問いかけに対してですが、極めて怪しいようです。翻訳の正確さについても目を覆いたくなるレベルのようですが、『ターヘルアナトミア』の「精神」と言いますか「雰囲気」は伝わってくるようです。



ネット上での閲覧方法

閲覧されたい方は国立国会図書館がデジタルアーカイブしていますので、写真下のリンクへおすすみください。

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国立国会図書館デジタルコレクション - 解体新書 4巻. [1]

原著『Ontleedkundige Tafelen』(通称『ターヘル・アナトミア』)

ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"をオランダ語役したものを、杉田玄白前野良沢らが翻訳していました。
当時のヨーロッパでは『解体新書』の原著『ターヘルアナトミア』は世界基準では最先端の書物ではなく、単なる入門書のようなレベルの書物だったようです。


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大分県中津市 大江医家資料館特別展展示品『ターヘル・アナトミア』

ターヘルアナトミア自体は世界的には大したことのない入門書ですが、当時の杉田玄白前野良沢らは、それでも必死になって医学知識を得ようとしていたのですね。



東洋文庫ミュージアムでは、両方並べて展示されています。

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東洋文庫ミュージアム展示品

当時のご時世

「『解体新書』翻訳しました。やったー!」で終われない世界だったのが、当時のご時世です。

『紅毛談』(おらんだばなし)事件(明和2年)

ドラマにも確かチラッと出てきた?書籍『紅毛談』(おらんだばなし)です。
オランダ人から聞いた話を書きをまとめた『紅毛談』(おらんだばなし)が、発禁処分となる事件が起きていました。
アルファベットを乗せたというだけで、作者が捕らえられてしまったようです。

漫画「風雲児たちワイド版」にこのようなコマのシーンがありました。

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風雲児たち ワイド版⑤

そんな訳で、杉田玄白によるハイパー根回し術の見せ所です。

杉田玄白のハイパー根回し術

テレビ番組「NHK 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 新規プロジェクト必勝法 杉田玄白」に紹介されていた根回し術ですが、ご紹介いたします。

翻訳際に細心注意

玄白はこの危機をかいくぐるため、解体新書の表現に徹底的に注意を払って行きます。…キリスト教のシンボル、十字マークを写真左で表現したり、解体新書を翻訳する際に幕府に目を付けられる可能性の高い、キリスト教を連想させる表現を全て別の表現に改めたのです。

アルファベットは全てカナ文字に、アラビア数字も全て漢数字に…それは本文にも及びます。ターヘルアナトミアではのど仏は、Adamsappelと書かれています。これは旧約聖書を元に付けられた名称です。

清書がらみのこの表現、玄白は『結喉』と書き変えました。…玄白はキリスト教を連想させる表現が解体新書に残らないよう徹底的に心をくだいたのです。

(引用元:https://ameblo.jp/e-fh/entry-11605869781.html

「解体約図」で世間の反応を見る

『解体新書』の予告編のようなもので、5枚1セットで出された簡略な人体図です。説明は最小限に抑え、体の全体像が一目で分かる表現にしています。

大奥からの根回し

翻訳者の一人、桂川甫周の父は将軍付きの幕府の医官でした。そこで玄白は、甫周の父を通じて、出来立ての『解体新書』を江戸城内の大奥に献上したのです。大奥に献上されたということは、幕府が暗黙に認めたということになり、奉行所から咎めを受ける心配がなくなったのでした。こうした玄白の用意周到な準備により、解体新書は世に出たのでした。
(引用:レポート ・解体新書と小田野直武 )

朝廷への根回し

杉田玄白は朝廷の実力者の、関白の九条家近衛家にも『解体新書』を献上しました。
批判されるどころか、公家に至ってはわざわざ和歌や漢詩を送られるほどの好感触だったようです。
(引用元:https://ameblo.jp/e-fh/entry-11605869781.html

このような経緯がありまして『解体新書』が無事に世の中に出回ることになりました。
これ以後、世界からすると遅れていた医術が急に発達し、『解体新書』発刊から150年ほどで田原淳やら北里柴三郎等の世界レベルの医師を排出するまでに至ったのは何だか嬉しいですね。

今現在の医術のレベルが世界的に見てどれ位にあるかは、私は医師では無いのでさっぱりですが....。


肖像画の所蔵

杉田玄白肖像

教科書でおなじみの杉田玄白肖像画は、早稲田大学の所蔵です。
東京の牛込、矢来公園に杉田玄白生誕地があります。生誕地に近い場所に、肖像画保管されているのも何かの縁でしょうか?

この肖像画杉田玄白の80歳の時のものです。

杉田玄白肖像 / [石川大浪] [画] ; 九幸老人 書
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杉田玄白肖像 / [石川大浪] [画] ; 九幸老人 書

左上の文章(賛)は玄白自身のものです。以下の文章が書かれています。

荏苒(じんぜん)太平の世に、無事天真を保つ、復是烟霞(またこれえんか)改まり、閑(しず)かに八十の春を迎う

※荏苒(じんぜん)....なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。
※烟霞(えんか)......煙と霞かすみ。靄もやと霞。ほのかにぼんやりと見える景色。



余談ですが、杉田玄白の子孫は甲子園球児のようです。

前野良沢肖像

歴史の資料集に使用されている前野良沢肖像画ですが、現在、大分県中津市の大江医家資料館に展示されています。
大分県中津市在住の個人蔵の掛け軸です。
普段目にする絵は写真を切り抜いて拡大しているから大きいのですが、実物の絵は意外と小さく描かれており、前野良沢ら江戸時代􏰀医学に影響を与えた3人􏰀医者􏰀がセットで描かれています。

前野良沢 肖像
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(図: 前野良沢肖像)


早稲田大学肖像画があります。

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前野良沢肖像

平賀源内肖像

慶應義塾大学所蔵の平賀源内肖像です。

平賀源内肖像(木村黙老著『戯作者考補遺』 明治写)
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慶應義塾図書館|平賀源内肖像 (木村黙老著『戯作者考補遺』 明治写)

早稲田大学所蔵の平賀源内肖像です。

平賀源内肖像 中丸精十郎画
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平賀源内肖像

余談ですが、ドラマ冒頭の腑分けを行なった小塚原刑場と平賀源内の墓は割と近くにあります。




大江医家史料館 特別展 『解体新書』と前野良沢

前野良沢の所属していた、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)では、正月時代劇を記念して特別展を現在開催しています。


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(画像引用元:特別展『解体新書』と前野良沢を開催します | 大分県中津市 )

 『解体新書』編纂の中核を担った中津藩医前野良沢。平成30年度のNHK正月時代劇は、そんな彼を主人公とする『風雲児たち蘭学革命編』に決定しました。
 そこで、良沢ゆかりの地中津市では、放映を記念し良沢の足跡を紹介するとともに『解体新書』前後の医学の歴史に関する特別展を開催します。
 『解体新書』初版本(当館蔵)をはじめ、『解体新書』刊行までの事績を記した『蘭学事始』などの貴重な資料を展示します。
 これを見ればドラマが2倍も3倍もたのしめる!展示になっています。
 ぜひ、大江医家史料館にお越しください。


期間:平成29年12月6日(水)~平成30年2月12日(月)
開館時間:午前9時~午後5時まで(ただし入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週火曜日
12月28日より1月3日までは無料開放します。   
入館料:大人210円(団体30人以上120円)高大生100円(団体30人以上60円)

場所:中津市歴史民俗資料館分館 大江医家史料館(中津市鷹匠町906番地)
JR中津駅より徒歩7分 福沢旧居より徒歩5分 駐車場あり
(引用元:特別展『解体新書』と前野良沢を開催します | 大分県中津市 )

まとめ

今回、雑な感じにコピペを駆使して記事をまとめましたが、『解体新書』の発刊まで
大体は原作の「風雲児たちワイド版」を見れば、恐ろしいほどに詳しく載っていますので是非ご覧ください。
ドラマでは堅物として描かれていた豊前国中津藩の前野良沢ですが、大分県中津市ではイベント開催していますので、別府湯布院の温泉のついでにお寄りください。

参考

風雲児たち?蘭学革命篇?

風雲児たち?蘭学革命篇?

大晦日

大晦日ですね。

本日、コメダ珈琲に入ったところ、雑誌「anan」に大分県中津市中津城のおみくじについて紹介されているのを見つけました。

中津城にはたまに行っていましたが、からくり人形みくじの存在に全然気付きませんでした。

来年もよろしくお願いします。

熊本県阿蘇小国町の観光スポット

1熊本県の小国町を観光してきました。
大分県中津市に12月16日(土)に開催されたギャラリートーク目的で行ってきたのですが、中津市だけだと物足りないので近くの小国町に寄りました。

※この記事は12/29に投稿した記事です。




目次

熊本県 小国町 場所

熊本県大分県の現境で山奥です。黒川温泉まで車で20分ほどの場所です。
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(写真:アクセス | 小国ツーリズム協会

阿蘇小国ジャージー牛乳で知られる場所です。
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(写真:JA阿蘇−小国郷 産直オンラインショップ 食のさんぽ

当初、黒川温泉に向かっていたのですが、ついつい寄り道して小国町に長時間滞在してしまいました。


北里柴三郎記念館

日本の医学者・細菌学者の北里柴三郎の故郷です。偶然横を通りがかったので、寄りました。

北里研究所が関わっているのでしょうか、パネルも展示物もしっかりした記念館でした。北里大学関係者がよく訪問されるようです。


北里文庫です。図書館だったそうですが、今は北里関連の資料が展示されています。
写真撮影OKか尋ねたところ「まぁ、いいですよ!」と承諾を得ました。

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北里柴三郎記念館内部

館内のパネルです。万国衛生学と人口統計学会議が一緒なんですね…。唯一の東洋人として北里柴三郎が参加しています。

愛知県の明治村に移設された北里研究所の模型がありました。

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北里研究所本館 模型



迎賓館からの眺めです。奥に見えている山は久住連山です。山隔てて手前側が熊本県、向こう側が大分県のようです。

「光るえんがわ」です。北里柴三郎が少年だった頃、毎日縁側を磨いていたらピカピカになったそうです。このエピソードは道徳の教科書にもなっているそうです。
これも展示品だなんて...と笑ってしまいましたが、東京の北里柴三郎記念館にも展示してありました。


北里柴三郎の家からの眺めです。




それにしても北里柴三郎出身の村、「北里」なんですね…。



温泉

道を走っていると沢山の温泉があったので、適当に立ち寄りました。

奴留湯(ぬるゆ)温泉共同浴場

源泉の温度が38度と、とにかくヌルい温泉です。冬場なのもあって、もう少し温度が低そうな印象でした。
入口前の料金箱にお金を入れて入湯します。


寒くてなかなか温泉から出ることができませんでした。寒いのですが、不思議と体のコリは取れました。夏は長く入っていられるのでいいかもしれませんね。


5000円程度から寄付できるようです。オーナー制度風で良いですね。

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奴留湯温泉


温泉の隣に、温泉が出る洗い場がありました。

近所の方が野菜を温泉水で洗うのでしょうか?試しに軽く飲んでみましたが...温泉です。


奴溜湯温泉について書かれた記事を見つけました。興味のある方は下記からどうぞ
onsen.unknownjapan.co.jp

川底温泉 蛍川荘(かわぞこおんせん)

1100年ほど前に菅原道真公によって発見されたと伝えられている歴史ある温泉です。
すごく体が温まります。
こちらの温泉は大分県玖珠郡九重町菅原ですが、熊本県に極めて近い場所です。

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川底温泉

こちらの温泉、今年の九州豪雨の被害を受けたようです。温泉は営業していますが、旅館は現在工事中のようです。悲しいですね...。


onsen.unknownjapan.co.jp

ハゲの湯(はげのゆ)

川底温泉の常連さんから聞いた、評判の良い温泉です。
さらに山奥に行ったところにある温泉なのですが、あまり観光地化されていなく長閑な田舎でした。

無料の足湯です。

足湯からの眺めです。都会の謙遜を忘れさせてくれます。

ハゲの湯温泉について書かれた記事を見つけました。興味のある方は下記からどうぞ
onsen.unknownjapan.co.jp

菅原神社

菅原道真を祀っている神社です。森の中にありました。


アイスクリームが食べれる場所

農家レストラン カップル」に立ち寄りました。

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農家レストラン カップル

こちらのご主人と話をしていたのですが、6次産業をおこなっているようです。
生産、加工、販売それに加えて卸もされているようでした。デパートの物産展にも出店しているようです。

寒かったのでホットチョコレートを注文いたしました。

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ホットチョコレート

6次産業の成功事例として紹介されているようです。
阿蘇小国ジャージーゴールデンミルクのむヨーグルト(農家レストラン カップル 梅田 喜久男氏)」
http://www.maff.go.jp/kyusyu/portal/kyushu_yuryou/kumamoto.html


ご主人から聞いたのですが、「◯◯牧場」と具体的な牧場名が出ているお店で買うと、生乳を使っていることが多いようです。


まとめ

今回はご紹介できませんでしたが熊本県阿蘇小国町は赤牛の美味しいところなので、ふるさと納税で注文するか、ぜひ観光におとずれてください。

東京の医史跡巡り

たまたま入った蕎麦屋に置いてあった本を開くと「杉田玄白」の文字が目に入りました。
ブログ更新することを思い出しましたので、医学史関連の記事を書くことにしました。

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「江戸の真実」





平成30年度のNHK正月時代劇『風雲児たち蘭学革命編』が放送されるようです。

このごろ蘭学やら医学史について調べていたので、東京の医史跡(幕末〜近代)を巡ってきました。
史跡巡りしやすいように、路線別に紹介していきます。
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目次

紹介する医史跡

今回巡った医史跡ですが、1771年〜近代の、豊前国中津藩(大分県中津市)に関わりのある史跡を中心に紹介します。非常に偏っています。
ざっと歴史の流れを紹介いたします。


明和8年(1771年)3月4日 蘭方医の杉田玄白前野良沢中川淳庵らは、小塚原刑場で罪人の腑分け(解剖)を見する

明和8年(1771年)3月5日 中津藩江戸屋敷前野良沢に集まり、解体新書の翻訳に取り掛かる

安永3年(1774年)、『解体新書』刊行する

安永8年(1779年)杉田玄白の親友の平賀源内、伝馬町牢屋敷で死ぬ。
※平賀源内は『解体新書』の挿絵画家小田野直武に西洋画の技法を教えた。『解体新書』の挿絵画家を探していた杉田玄白に紹介したとも言われる。

文化12年(1815年)杉田玄白『蘭東事始』(らんとうことはじめ)を大槻玄沢に送る。

文化14年(1817年)杉田玄白死ぬ。 墓所栄閑院


安政5年(1858年)お玉ヶ池種痘所できる
江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合って種痘所を作る。
東大医学部の前身、西洋医学所(大阪の蘭方医・緒方洪庵が務めた)の前身

安政5年(1858年)福澤諭吉中津藩江戸屋敷蘭学塾を開く

明治2年(1869年)『蘭東事始』を『蘭学事始』の題名で刊行する。
福沢諭吉蘭学事始見つけて感激する。
緒方洪庵適塾福澤諭吉は勉強していたが血を見るのが苦手だからか、医学は志さなかった。

明治6年1873年)に慶應義塾医学所設立するも、戦争による経営危機で7年で閉まる

明治25年(1892年)伝染病研究所(芝公園設立する
適塾時代の親友から北里柴三郎を紹介され、支援する。

明治27年(1894年)伝染病研究所(芝区愛宕町)引っ越す

明治32年(1899年)内務省管轄の国立伝染病研究所(芝区白金台町)

明治34年(1901年)福澤諭吉死ぬ。墓は麻布善福寺

明治39年(1916年)国立伝染病研究所、白金台に移転

大正3年(1914年)北里研究所(芝区、現港区白金)
国立伝染病研究所の文部省移管決定するにあたり職員総辞職し、北里研究所を作る。

大正6年(1917年) 慶應義塾大学医学部設立 北里柴三郎が初代学部長

平成29年(2017年) 東大医科研125周年 ・ 慶應医学部100周年




東京メトロ 日比谷線沿い

南千住駅の小塚原刑場跡と、築地駅の解体新書翻訳開始地を巡ることができます。
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File:Hibiya line jp.gif - Wikimedia Commons

南千住駅

蕎麦屋「砂場」がある南千住ですが、『解体新書』翻訳をするにあたり、解剖を見学した場所があります。

小塚原刑場跡

1771年(明和8年)3月4日、蘭方医の杉田玄白前野良沢中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学した場所です。

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小塚原刑場跡


南千住回向院には観臓記念碑があります。

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南千住回向院 観臓記念碑
そして史跡も巡ることもできます。
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史跡エリアの看板




『解体新書』の解剖見学から後世でも、医学の発展のために解剖が行われていたようです。
西洋医学所(東大医学部の前身)でも、小塚原刑場で年3回は刑死人の解剖をしていたようです。

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(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)

小塚原刑場跡だけ見に南千住に赴くのもなんなので、南千住砂場(1848年-1854年に創業のそば屋店舗)でランチしてきました。。。親切な店員さんのいる良い老舗でした。

平賀源内墓

平賀源内のお墓があります


小伝馬町駅

伝馬町牢屋敷

杉田玄白の親友の平賀源内、伝馬町牢屋敷で死にます。
平賀源内は『解体新書』の挿絵画家小田野直武に西洋画の技法を教えた。『解体新書』の挿絵画家を探していた杉田玄白に紹介したとも言わていています。

小伝馬町牢屋敷展示館には牢屋敷の模型があります。

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伝馬町牢屋敷 模型

模型可愛いのですが、キャプション内容が強烈です...。

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伝馬町牢屋敷 模型


余談ですが、蘭学者高野長英が捕らえられた際、服役者に医療を施し、牢名主にまでのし上がった場所です。
牢屋の中で出世するのもまた凄いですね....。

お玉ケ池種痘所(東大医学部発祥の地)

天然痘予防の種痘を施す場所です。
手塚治のご先祖様含む、多くの蘭方医たちが奮闘して作りました。今やビルの一角に、その石碑が残っていますす。

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(東大医学部発祥の地)

手塚治虫著『陽だまりの樹』の中に、お玉が池種痘所について紹介されたページがありました。




(画像引用元:手塚治虫陽だまりの樹」)


ドラマ「JIN」の中では、緒方洪庵が西洋医学所の頭取やっていました。

築地駅

解体新書翻訳地

豊前国中津藩中屋敷が築地鉄砲洲にありました。豊前国中津藩の前野良沢邸で翻訳を始めたようです。

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解体新書翻訳地

慶應義塾大学発祥地

同じく、慶應義塾大学の創設者の福澤諭吉豊前国中津藩出身なので、この地から蘭学塾を開きました。

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慶應義塾発祥の地

石碑も隣同士です。
歩いて15分くらいで月島駅に着くので、寄った帰りにもんじゃ焼き食べれちゃいます。

東京メトロ 三田線

北里柴三郎に関係する場所を多く巡ることができます。
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都営三田線停車駅 | 東京都交通局

御成門駅

出世の階段で有名な愛宕神社がある場所ですが、すぐ近くに杉田玄白のお墓があります。

杉田玄白墓(栄閑院)

栄閑院に杉田玄白のお墓があります。

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杉田玄白の墓
余談ですが、愛宕神社への道に迷い、偶然たどり着きました。。

伝染病研究所発祥の地 碑

東京パナソニックビル1号館に隣接する形で、伝染病研究所発祥の地碑が建てられています。

芝公園駅

伝染病研究所跡 芝公園

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎

白金台駅

東京大学医科学研究所

北里柴三郎が働いていた東京大学医科学研究所です。今年、創立125周年・改組50周年です。

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東京大学医科学研究所

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近代医科学記念館

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模型

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馬へ免疫を施している模型

近代医科学記念館では昔の写真がアルバムになっていて閲覧することができ、東京帝国大学伝染病研究所の写真がありました。コレラ予防注射の文字が書かれているのを見ると、時代を感じますね.....。

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東京帝国大学伝染病研究所の写真

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東京大学医科学研究所




北里大学

もともとは土筆ヶ岡養生園と呼ばれる結核患者の病院跡地に、現在の北里大学、北里研究所ができたようです。

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎
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コッホ・北里神社

北里柴三郎記念館では、北里柴三郎に関連する様々な資料があります。福澤諭吉が激怒した「牛乳瓶事件」の書簡があります。

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北里柴三郎記念館

そのほか、北里研究所本館模型が置いてありました。写真は熊本県北里柴三郎記念館のものです。同じものが東京の北里柴三郎記念館においてあります。

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北里研究所本館模型




※牛乳瓶事件...福澤諭吉は養生園から牛乳をとっていたが、明治29年10月にその牛乳瓶に毛が付着していたのを叱責する長文の書簡を書いた。
書簡の宛名は養生園の庶務会計を担当していた田端重晟(たばたしげあき)だが、北里柴三郎が書簡を見るや福澤に詫びに出向いた。そのまま北里は3時間説教を食らったらしい

東京メトロ 南北線

日本医師会本部、慶應義塾大学医学部、東京大学医科学研究所、北里大学等へのアクセスが良い線です。
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東京メトロ 南北線 路線図

駒込駅

六義園旧古河庭園、住宅街の大和郷がある場所ですが、その中に解体新書が展示してあるミュージアムがあります。

東洋文庫ミュージアム(解体新書の展示)

『解体新書』が翻訳されるまでの経緯が、数分程度の映像でまとめられています。


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東洋文庫ミュージアム

日本医師会 本部

現在の日本医師会本部があります。

四ツ谷駅

慶應義塾大学信濃町キャンパスがあります。主に医療関連のキャンパスです。慶應義塾大学医学部は今年100周年のようです。

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「東京人」2012年7月増刊「日本細菌学の父 北里柴三郎

慶應義塾大学医学部図書館

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北里記念医学図書館

麻布十番

1975年の動揺「およげ!たいやきくん」のモデルになったたい焼き屋「難波総本家」があったり、創業210余年の蕎麦屋「総本家永坂更科布屋太兵衛」があったり、どこか下町風な雰囲気のする麻布十番です。

福澤諭吉墓(最初のアメリカ公使宿館跡)

福澤諭吉の墓を医史跡として加えて良いものか悩んだのですが、大阪の蘭学者(医師)の緒方洪庵の元で勉強していたことと、北里柴三郎関連施設に大体関わっているのでオマケに入れておきました。

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福澤諭吉


ハリスが滞在していた最初のアメリカ公使宿館跡です。

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最初のアメリカ公使宿館跡

手塚治虫の漫画「陽だまりに樹」に出てきた、元麻布善福寺住職の娘おせきさんが住んでいた寺です。

まとめ

今回、蘭学者たちが人間の内臓がどのようなものか知らせて広めようとする時代から、世界トップレベルの研究者の北里柴三郎が出てくるまでの史跡を紹介しました。

東京は医史跡のドンキホーテなので1日で回れず、数日かけてゆっくり周りました。
後ほど少しだけ修正する予定です。



平成30年度のNHK正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命編』 開催記念ギャラリートーク

モチベーションがあったので、温泉に入りがてら中津市平成30年度のNHK正月時代劇『風雲児たち蘭学革命編』に関するギャラリートークを見に行きました。

大分空港内のPRおんせん県おおいた


大分空港から車で1時間ほどで中津に到着します




ギャラリートークの詳細です

開催記念ギャラリートーク
講師:W.ミヒェル(九州大学名誉教授)
平成29年12月16日(土)13時30分~(1時間程度)
本館展示室内(入館料が必要です。)
特別展『解体新書』と前野良沢を開催します | 大分県中津市


講師プロフィール
1946 年ドイツ生まれ。フランクフルト大学大学院卒業後来日、九州大学助手から同大助教授、同 大学院教授、副学長を歴任後、現職。博士(文化科学)。専門は日欧交流史・医史学。中津市では毎 年医学史料の整理研究を行い、『中津市歴史民俗史料館分館医家史料館 資料叢書』を執筆刊行している。

目次

大分県中津市ってどこ?

福岡県と大分県の県境です。蘭学の街として栄え、歴史の教科書に掲載される『解体新書』をみることができる町です。
今は「中津からあげ」と鱧が有名です。

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(画像引用元:中津市へのアクセス | 大分県中津市

正月時代劇 風雲児たち蘭学革命(れぼりゅうし)篇~


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(画像引用元:http://www.city-nakatsu.jp/

正月時代劇
風雲児たち蘭学革命(れぼりゅうし)篇~

大河ドラマ真田丸」より1年――。
三谷幸喜が満を持して送る究極のエンターテインメント時代劇!
あの三谷幸喜さんが「真田丸」以来、1年ぶりにNHK時代劇に帰ってきます。
今度のお題は前野良沢杉田玄白による〝蘭学事始〟。史上初の西洋医学書の和訳に一心同体で取り組んだ二人は、鎖国ど真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げます。しかし、刊行された「解体新書」になぜか良沢の名は載らず、名声は玄白だけのものとなりました。二人の間にいったい何が起きたのか…。
みなもと太郎さんの大河歴史ギャグ漫画を原作に、笑いとサスペンスに満ちた新しい三谷流歴史ドラマが誕生します。

(引用元:脚本・三谷幸喜 正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命篇~』制作開始 | 正月時代劇 | NHKドラマ

私事ですが、三谷幸喜さんのファンです。



大江医家史料館 特別展 『解体新書』と前野良沢

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(画像引用元:特別展『解体新書』と前野良沢を開催します | 大分県中津市 )

 『解体新書』編纂の中核を担った中津藩医前野良沢平成30年度のNHK正月時代劇は、そんな彼を主人公とする『風雲児たち蘭学革命編』に決定しました。
 そこで、良沢ゆかりの地中津市では、放映を記念し良沢の足跡を紹介するとともに『解体新書』前後の医学の歴史に関する特別展を開催します。
 『解体新書』初版本(当館蔵)をはじめ、『解体新書』刊行までの事績を記した『蘭学事始』などの貴重な資料を展示します。
 これを見ればドラマが2倍も3倍もたのしめる!展示になっています。
 ぜひ、大江医家史料館にお越しください。


期間:平成29年12月6日(水)~平成30年2月12日(月)
開館時間:午前9時~午後5時まで(ただし入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週火曜日
12月28日より1月3日までは無料開放します。   
入館料:大人210円(団体30人以上120円)高大生100円(団体30人以上60円)

場所:中津市歴史民俗資料館分館 大江医家史料館(中津市鷹匠町906番地)
JR中津駅より徒歩7分 福沢旧居より徒歩5分 駐車場あり
(引用元:特別展『解体新書』と前野良沢を開催します | 大分県中津市 )

ギャリートークの結論

結論から言うと以下の二点です。

蘭学事始』は杉田玄白の回顧録

杉田玄白が晩年綴ったものなので、記憶違いもチラホラあるようです。

「私(ミヒェル先生)も71歳だからよく分かりますが、老人が回顧録書くとなると『わたしの時代が良かった!』とどうしてもなりますね(笑)」と語るのでありました。

ミヒェル先生は研究を進める上で『蘭学事始』に引きずられないように、あまり見ないようにしているそうです。

影響力の強い福澤諭吉がたまたま見つけて、再販したので、『蘭学事始』が蘭学の始まりのように思われていますが、それ以前から蘭学は存在していたようです。


解体新書の翻訳は極めて怪しい

『解体新書』は『ターヘルアナトミア』を正確に翻訳できているか?…と言う問いかけに対してですが、極めて怪しいようです。

ただし『ターヘルアナトミア』の「精神」は伝わってくるようです。





蘭学の始まりは蘭学事始以前からあった

蘭学事始』以前から存在した蘭学

1649(慶安2)年〜1651年まで滞在したドイツ人のカスパル・シャムベルゲル(1623〜1706)は、幕府に重用されていたようです。
10ヶ月近く治療のため江戸に滞在していたのだとか

長崎の通詞のオランダ語は発達していた

当時、長崎で通詞をしていた吉雄耕牛(1724〜1800)は、4人の商館医からオランダ語やオランダ医術を学び、医術において吉雄流を興していたようです。

この吉雄耕牛は、前野良沢オランダ語を教えた人なのですが、『解体新書』に取りかかった時の前野良沢よりもオランダ語がペラペラだったようです。

国内で行われた解剖

『解体新書』が世に出回る以前から、山脇東洋や河口信任らが解剖を行なっていました。
あまり医学的には詳しくない図だったようですが…

彼らがやったこと自体は意味はなくても、行為には意味があったようです。


原著『ターヘルアナトミア』は世界では入門書

『解体新書』の原著『ターヘルアナトミア』は世界基準では最先端の書物ではなく、単なる入門書のようなレベルの書物だったようです。

余談ですが、全てのターヘルアナトミアが上記の写真の外装しているわけではないようです。
当時ら印刷屋さんと製本屋さんが別だったほうです。お金に余裕のある人は、外装を高級感のある素材を使っていたようです。

展示パネル

幾つか展示されていたパネルの写真を載せておきます。





ギャラリートークで使用された単語帳『阿蘭陀語外科指南』

まとめ

来年の1月のドラマに向けたギャラリートークでは、『蘭学事始』以前から発達してしていた国内の蘭学の歴史について知ることができました。
特に録音することなく記憶を頼りに思い出して書いていますので、細かい間違いはご容赦ください。